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現代の踏み絵: 政治と音楽 March 2022

ウクライナ侵攻に踏み切ったロシアの独裁者ヴラディーミル・プーチン大統領と親しい関係にある、欧州名門の管弦楽団の音楽監督ヴァレリー・ディアギレフが雇用契約期限までまだ三年もあるのにも関わらず、突如解任されました。

プーチン大統領と個人的に親しい指揮者ディアギレフは、今週の月曜日の終わりまでに、プーチンのウクライナ侵攻を支持しないという声明を発表するように要求されていて、期限までに回答をしなかったのでした。

プーチン支持を否定する踏み絵を突きつけられて、江戸時代の隠れキリシタンのように、踏み絵を踏むことができなかったという意味です。

世界的ディーヴァとして知られる名ソプラノのアンナ・ネトレプコもまた、ロシアの独裁者に薫陶を受けた音楽家。ロシアを代表する大歌手になれたのはプーチン大統領の支援があったからだと言われています。その出自ゆえに、彼女が活躍するニューヨークのメトロポリタン歌劇場との出演契約も全て白紙になったそうです。

ガーディアン誌が選んだ2014年の時の人でもありました

全ての「プーチンつながり」を疑惑されているロシア人音楽家はこうした扱いを今後受けてゆく。まるで戦後アメリカハリウッドの赤狩りのよう。

スポーツ界では、ロシア代表としてはアスリートたちは今後世界大会に出場は許されないそうですが(個人枠ではOK), 音楽の世界ではどうやら踏み絵さえ踏めば活動の場は失われないのでしょうか。

ベルリンフィルの現シェフのキリル・ペトレンコはロシア出身ですが、反ウクライナ侵攻声明を早々に標榜したために、こうしたロシア人排除の関わりとは無縁であるようです。もしロシアにこれらの著名な音楽家を通じて大量の外貨が流れ込むことが問題ならば、ペトレンコの活動も制約されるべき。でもそういうわけでもない。

世界中で活躍するロシア人演奏家はいかなる処遇を受けてゆくのでしょうか。以下の問いに全てのロシア人演奏家は答えなければいけないのです。

あなたは侵略者プーチンを支持しますか?

クラシック音楽の歴史に詳しい方ならば、第二次大戦におけるナチスドイツへの関与を疑われた歴史的指揮者や演奏家を思い出すことでしょう。

政治的傾向とは関わりなく、全ての人類にとって偉大な遺産であるドイツ音楽を奏でることがわたしの仕事であり、わたしは政治家ではない。

という言葉を、ニューヨークフィルで演奏することに、今回のゲルギエフ同様に立場を鮮明にすることを迫られた大指揮者フルトヴェングラーは1936年に語っています。
ナチスの脅威が世界的に拡大してゆく中での発言。
戦後数年間、フルトヴェングラーが演奏活動を禁じられたことはよく知られています。

親ナチスの傀儡オランダ政府の庇護下に置かれた、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団のシェフである大指揮者ヴィレム・メンゲルベルクは戦後、戦争協力者として引退に追い込まれまれて、寂しい晩年を過ごしました。

ドイツの大指揮者であると同時に、ドイツ音楽協会の総帥に祭り上げられていた作曲家リヒャルト・シュトラウスも、やはり全ての公職を解かれて、私的財産は没収され、スイスに亡命。

失意のシュトラウスは隠遁生活の中で、この世のものとも思えぬ彼岸の彼方を思わせる偉大な最晩年の作品を書き遺すのです。

政治的立場は芸術活動を制約してしまう。
そういうものなのでしょうか?

芸術活動は社会活動なので、現在世界最高の指揮者の一人であるゲルギエフのような思想的に正しくない人物は干されて然るべき。正しいのでしょうか?
絶対悪などというものは本当に存在するのでしょうか?

ウクライナ侵攻には数多くの無垢の民の死傷者が出ていて、何百万人という難民を引き起こしたロシア軍の侵攻は悪でしょう。

でもここまで、プーチンを追い詰めたのはウクライナ側の度重なる悪手ゆえでもあったはず。

ウクライナのNATO参加はロシア側から見れば、二十世紀のキューバ危機にも等しい死活問題。ここまで追い詰めてしまったのは、抑止力には全くならない無能な国連とアメリカを頂点とする西側諸国の欺瞞。

ウクライナとロシアは歴史的に一千年の時を超えて争い続けてきた異民族の国家。第二次対戦中、ウクライナはナチスのソ連侵攻を支持して、ボルシェヴィキに敵対しました。今日ウクライナにおけるネオナチ運動はかなり盛んなのだそうです。もちろんロシア憎しゆえに。五十歩百歩という言葉が脳裏に浮かびます。

ロシアソヴィエトの覇権主義、大ロシア主義は、ウクライナのロシアの影響力からの離脱を決して認めません。でもだからといって、大きな体に任せて鉄拳を振るうことも許されない。

日本語メディアや英語メディアはプーチンを二十一世紀のアドルフ・ヒトラーと断じるし、おそらくその見方も正しい。全ての侵略戦争は自衛の戦争であると、歴史家はいみじくも語りますが、そう理解されるのは砲弾から硝煙が立ち上らなくなる戦後のこと。正義などどこにもない。子供のアニメにだって呟かれる言葉。

正義の名の下に社会的活動を禁じられてゆくロシア人の音楽家たち。活動したければ、ちょうどコロナワクチンパスポートをレストランや空港に入るたびに見せなければならないのと同様に、アンチプーチンの証を見せなければならない。言論の自由も思想的な自由も何もない世界。

わたしはプーチンの行動を正義であるとは思わないし、メディアの伝えるウクライナの惨状に心を痛めることしかできない、戦争とは無縁な安全な国に住んで、こうしてnoteに想いを投稿することしかできない。

いま世界はおかしな方向へ向かっている過渡期。歴史は繰り返すという言葉がありますね。だからわたしは過去の故事と今現在起きていることを読み比べている。

四面楚歌で叩かれている祖国ロシアを愛する人の気持ちが痛いほどよくわかります。SNS上で多くの無辜のロシア人がウクライナごめんなさいを呟いている。

自分たちの街が破壊されてゆくのを眺めているばかりのウクライナの人々の気持ちにも同情します。ほとんど全く報道されませんが、ウクライナのロシア化を望んでいるウクライナ人もたくさんいるのです。クリミア併合の時と同じことです。


最後にナチス協力疑惑で、世界から追われて全ての過去の輝かしい名声を失った老シュトラウス最晩年の大傑作、オーボエ協奏曲へのリンクを貼ります。

ヘルマン・ヘッセとアイヒェンドルフの詩に音楽をつけた「最後の四つの歌」も素晴らしいけれども、言葉のない飄々とした現世を超えてしまっていて、地上の雑音なんかから完全に自由になった、融通無限な悟りの境地のようなこの曲をわたしは大好きです。

この音楽の前には政治なんて無意味です。音楽家はただ美しい音を聴き手に提供してくれるのです。それが音楽家なのですから。

ウクライナ系ユダヤ人の二世であるアメリカの世界的指揮者レナード・バーンスタインは晩年、イスラエルなどのユダヤ人富豪たちの絶対的支持のもとに八面六臂の活躍を世界中で繰り広げましたが、あなたが政治的にパレスチナ問題を引き起こした強国イスラエルが大嫌いならば「ウェストサイドストーリー」は非道徳的作品であると否定しますか?

ほんの小さなサポートでも、とても嬉しいです。わたしにとって遠い異国からの励ましほどに嬉しいものはないのですから。