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パガニーニの音楽(1): ヴェニスの謝肉祭

ジェノヴァ出身の作曲家ニコロ・パガニーニ (1782-1840)。

演奏家として、六年余りにも及ぶヨーロッパ演奏旅行を敢行して、ウィーン、ハンブルク、ベルリン、ワルシャワ、パリ、ロンドンなどの大都市でパガニーニフィーバーと呼ばれたセンセーションを引き起こしたことは前回記載した通りです。

楽器演奏者として、ヨーロッパを征したのはパガニーニが世界初。現代の世界的ミュージシャンが世界中を巡るという音楽興行の雛形を作り上げたのはパガニーニなのです(二人目がピアニストのフランツ・リスト)。

それ以前には、ロッシーニのオペラがヨーロッパ中の歌劇場を大入り満員にさせたということはあっても、パガニーニという一介のヴァイオリン奏者の音楽を聴きたいがために劇場が一杯になるなど、あり得ないことでした。

悪魔と呼ばれたパガニーニのマーケティング戦略は、自らの悪魔的神秘性を口コミで広めさせて、一生に一度はパガニーニを見ないとダメだと、普段は音楽を聴かない大衆をも劇場に駆けつけさせたというものでした。

まさに現代の大衆音楽スーパースターの先駆。マリリン・マンソンみたいなものでしょうか(笑)。

https://nme-jp.com/news/93166/

現代のお金に換算して、数億の利益を数回のコンサートから稼ぎ上げたパガニーニの音楽は、分かる人にはパガニーニの音楽の技術的革新性は分かっても、音楽を普段は聴かないほとんどの聴衆にはサーカス芸のようなものでした。

現代においても、多くの音楽に詳しくない方は、ピアニストの指がどれだけ鍵盤上を駆け巡るかを見ることを喜ばれます。音楽演奏には見せ物としての楽しみもあってもいいものでしょうが。

パガニーニを実際に聴いた音楽家にもシューベルトのように、イタリアオペラのベルカントオペラのようなパガニーニの甘美な調べに「天使の歌声」を聴くものもいれば、リストやシューマンのようにパガニーニの曲芸的な技巧に魅せられた作曲家もいました。

実際にパガニーニを聴けなかった後世の作曲家も、伝説として語り継がれることとなったパガニーニの遺した楽譜よりパガニーニの偉業を偲びました。

パガニーニは生きて伝説となり、生前に出版された数少ない音楽や死後に出版された楽譜を通じて語り継がれたのです。

「ヴェニスの謝肉祭」を広めたパガニーニ

そんなパガニーニの音楽に、「ヴェニスの謝肉祭」という曲があります。

映画「悪魔のヴァイオリニスト」では、こんなふうに演奏されています。

「ヴェニスの謝肉祭」という曲は、もともと南イタリアのナポリ民謡なのですが、パガニーニがこの愛らしいメロディを変奏曲としてヨーロッパ中で演奏することで、広く親しまれるようになりました。

謝肉祭カーニヴァルとは?

謝肉祭はカトリック圏における大切なお祭り。

救世主の神聖な生誕祭クリスマスに羽目を外すわけにはゆきませんが、謝肉祭にはどんちゃん騒ぎという習慣がいつからか生まれたのです。

謝肉祭の起源などは調べるといろいろ理由を見つけることが出来ますが、日本語的には肉食を断つというのが謝肉祭。

この謝肉祭という言葉、あまり良い訳ではないですね。

救世主の受難と復活を祝う準備をするために禁欲的生活を送る前に肉食絶ちのパーティーをして、思い切り肉を食べるというのは、イスラム教徒ムスリムのラマダーンに少しばかり似ていなくもないですね。

ラマダーンでは日中は断食しても、夜に山ほど食べるので、逆に太ってしまうという話もよく聞くものです。

寒さの厳しい中世ヨーロッパでは、野菜の摂れない初春には少量不足で、塩漬け肉なども節約して暮らすことが理に適っていたので、経済的にも肉断ちする40日間は貴重。

キリストの砂漠における40日間の断食を偲ぶなど、本来の意味は忘れ去られた復活祭前の受難節。

お祭りだけ形骸化してこうして祝われているのは、宗教世俗化の行き着いたところですね。

クリスマス音楽はクラシック音楽の世界では聖歌以外には少ないのですが、非宗教化した謝肉祭のための音楽は本当にたくさんあります。

パガニーニは、そんな楽しい謝肉祭を題材にしたイタリアのメロディーをアルプス以北のドイツやフランスやポーランドで広めたのです。

さて、「ヴェニスの謝肉祭」、元祖パガニーニ版はこちら。のちに作品10として出版されました。

下の動画のレーピンはソヴィエト連邦の神童として知られた、超絶技巧を誇る世紀のヴァイオリニストです。映画版のギャレットとは一味違う、端正な演奏ですね。

ショパンの「ヴェニスの謝肉祭」

ワルシャワでパガニーニの演奏に接して、ショパンは演奏会後に楽屋にまで行ったのか、パガニーニは日記に19歳の若いショパンの名前をワルシャワ公演の日の記述に書き記しています。

ショパンはパガニーニの思い出として、「ヴェニスの謝肉祭」の主題による変奏曲を書いています。

生前には出版されなかった未出版作品。未出版楽譜は全て焼却せよというショパンの遺言を姉や友人たちが無視したために今日まで伝えられた奇跡の楽譜ですね。

また作品10の練習曲の作曲動機もパガニーニに出会ったからだとか。練習曲作品25の4は「パガニーニ」というニックネームでも知られています。

パガニーニではない、ヴァイオリンによる「ヴェニスの謝肉祭」

パガニーニのヴァイオリンを聴いたヴァイオリン奏者のエルンストは、パガニーニとは別の超絶技巧な「ヴェニスの謝肉祭」変奏曲を作曲しています。パガニーニ以上に超絶技巧な一曲です。

でもここまでゆくと本当に超絶技巧のための超絶技巧という感じで、わたしは好みません。

フルートによる「ヴェニスの謝肉祭」

ヴィルトゥオーソ・フルート演奏家で「フルートのパガニーニ」として知られた、イタリアのジュリオ・ブリッチアルディ (1818-1881) は、パガニーニの代名詞である、この「ヴェニスの謝肉祭」によるフルートの変奏曲を作曲しています。

フルート奏者が冷や汗をかく超絶技巧な一曲。まさにパガニーニを彷彿とさせる楽曲。

別のフルートによる「ヴェニスの謝肉祭」では、ゲニンの作曲が有名です。

わたしもこの曲を演奏したことがあります。フルート奏者に愛され続けている名作ですね。

ギターによる「ヴェニスの謝肉祭」

次はスペインのフランシスコ・タレガ Francisco de Asís Tárrega y Eixea (1852-1909) によるギター版。パガニーニ死後にパガニーニの創り出した超絶技巧変奏曲の伝統に基づいて書かれた名品です。

タレガはパガニーニの死後に登場した、ヴァイオリン・ヴィルトゥオーゾのサラサーテ(ツィゴイネルワイゼンの作曲家)にちなんで「ギターのサラサーテ」と呼ばれた人物。

もちろん、「アルハンブラの思い出」の作者です。

トランペットによる「ヴェニスの謝肉祭」

ヴァイオリンで奏でられたこの曲は、ありとあらゆる楽器で演奏されてきましたが、天才セルゲイ・トランペット奏者のナカリャコフのトランペット演奏はまさに驚嘆すべき美演です。

ナカリャコフを「トランペットのパガニーニ」とさえ呼びたくなります。

この編曲はフランスのジャン=バティスト・アルバン (1825-1889) によるもので、アルバンはパガニーニのヴァイオリン版をトランペットへと見事に移し替えて、色々と金管楽器らしい味わいを付け加えたのです。

続いてウィントン・マルサリス。こんなトランペッターが世界に存在することが奇跡です。

リストによるピアノ版「ヴェニスの謝肉祭」

最後はパガニーニの演奏を聴いて、自身の人生を左右されたともいえる、フランツ・リストによるピアノ版。

「ピアノのパガニーニ」とは間違いなく、フランツ・リスト。

若書きのショパンとは異なり、本格的な技巧的変奏曲です。

リストらしい技巧が満載でも、片手のどちらかは「ヴェニスの謝肉祭」のメロディをそのまま保ち続けているので、音楽として非常に分かりやすい名品ですね。パガニーニ練習曲集ほどには音が複雑ではないのがいいのです。

パガニーニが面白いのは、こうして同じメロディーをいろんな楽器でいろんな編曲で楽しめること。

パガニーニの変奏曲は、ベートーヴェンのようにリズムやハーモニックな変奏は試みないで、旋律楽器であるヴァイオリンの特性そのままに、あくまで旋律部分の展開に全ての精力を注ぐこと。

音楽的には深くならないかもしれませんが、どんなに複雑に返送されても単旋律なので、バッハやベートーヴェンのように理解不能ということは決してないのです。一聴して気楽に音楽展開の妙技を楽しめることが魅力でしょう。


次回はパガニーニの真骨頂である奇想曲第二十四番について語ります。

以下は写真サイト「Upsplash」で利用できる著作権フリーの「ヴェニスの謝肉祭」のフォトギャラリー。

仮面を被って身分を隠して、貴族も平民も一緒になって歌い踊るのがヴェニス流。水の都の謝肉祭、一度は参加してみたいものですね。

ほんの小さなサポートでも、とても嬉しいです。わたしにとって遠い異国からの励ましほどに嬉しいものはないのですから。