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その選択は ほんとうに自分としての選択か

年の初めに 必ず 
考えることがある

それは問いだ
年始の問いを 毎年考える

*

一年を 意図的に過ごせるよう
多くの人が 目標を立てる

けれど 僕は目標ではなく
問いを 立てる

理由は 簡単だ

問いなら 達成度に関わらず
いつでも 大事なことに 
向き合い続けられるからだ

かつて僕にも 目標を
立てていたことがあった

計測できる目標がいいとか 
書籍を参考にして

より良い目標を立ててみようと 
苦心した

しかし 意気揚々と 
考え尽くした目標を 立てたとしても

夏を過ぎる頃には 
達成できないことが 見えてしまう

木々が色づく頃に 挽回を狙うも
年末には また達成できなかった 
と落ち込み

次の年こそはと 
また目標を考え直す

そんな年を 何度も重ねてきた
その度に 負けてきた

だから 問いを立てる

問いなら いつでも 何度でも 
自分に ぶつけることができる

*

とはいえ もう4月
1年の四分の1が 終わっている

ようやく 今年の問いを
考えることができた

正確にいうならば
見えていたものは あった

けれど 表現が落ち着かずに 
ふわふわとしていた

それが ようやく整った

しっかりと 身体の中に
入ったのを感じる

そんな今年の問いは これだ

その選択は ほんとうに自分としての選択か

*

毎日は 選択の連続だ

けれど 自分で選択しているようで
外部の声や 常識に
振り回されてしまったり

時間の制限があって 
決めなくてはいけなかったり

考えているようで 
考えられていないことが多い

そして その結果 
自分の輪郭を 曖昧なものにする

もう たくさんだ

僕は 自分は 何者なのか
今 何を 大切に したいのか

それをより強く 色濃く 表現して
生きていきたい

だから 問いを立てる

その選択は 自分として
ほんとうに 選んだことなのか

それとも 流された選択なのか

いただけたら、とてもうれしいです!サポートは、台紙となるマーメイド紙、絵に使う画材、額装、などの道具代に還元させていただきたいとおもいます。