社会的に抹殺できたら勝ちのゲーム

社会的に抹殺できたら勝ちのゲーム

あまり社会的芸能的なことやネガティブなことは話していなかったですが、モヤモヤが続いているので書かせていただきます。削除するかもしれません。

※ キツい言葉使っていてすみません。

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日本は「do否定」ではなく「be否定」をする社会だ、と言われます。何か起こったとき「行為を否定する」のではなく「人格を否定する」と言われています。他に何かやらかしていないか粗探しが始まります。WikipediaやブログやTwitterが荒らされます。その人の他の作品が否定されます。

一度のミスも許されず、一度でもミスすれば人格を否定され、社会から退場するまで袋叩きにするゲームが行われます。対象の人物を社会的に抹殺できれば勝ちというゲーム。

社会的に復帰出来なくなるまで徹底的に叩かれ、追い詰められて自ら命を絶つ方を何人見てきましたか。その度に「これはやめよう」と皆が訴えますが、全然止めませんよね。

もちろん、犯罪は許されません。
過去に犯した罪を自慢するような人は許されるべきではありません。
ですが、許されない犯罪者すらも反省と社会復帰の機会を設けられているのです。

過去のミスを自ら悔いて、行動を改めている人の過去を、わざわざ多くの人が掘り返し、一斉に叩くという社会が健全なのかは考えた方が良いと感じます。

メディアもアクセス数個稼ぐために、丁寧に多くの著名人に「あれはダメでしょう」とコメントをもらうために、否定しやすい部分だけをフォーカスして伝えます。一部を切り取る事で反対の意味にもできてしまうメディアのマジックを信じてしまう人も多く存在します。

そしてその表面的で偏った記事や意見を鵜呑みにし、特に深く調べも考えもせずに自分は正しいことをしていると感じたい人たちが批判します。しかも自分は正しいと信じ込んでいる人たち(確証バイアスを持つ人たち)が一番恐ろしく、批判や攻撃に歯止めが効かなくなります。そういった人たちは絶対に反対意見を認めません。そもそも本当に正しいかは大した事ではなく、自分が正義の側に立っていると認識したいための大義名分を探しているだけなのかもしれません。

「表に出るべき人間は一度のミスもない人物が相応しい」という意見もありますが、そもそも大なり小なり人間はミスを犯します。人間はミスを犯しながら何が良くて何が悪いかを学んでいく生物である以上、ミスのない人はいません。「ミスのないように見える人間」は「ミスがない」のではなく「ミスが表に出てきていない」だけです。そして「表に出る人間は叩かれても仕方ない」という考えは、表に出ない人は同じことをしても叩かれず、表に出なければミスはなかったことになるという危ない思想の裏返しにも聞こえるのです。

最近公園から遊具がどんどん減っていますよね。遊具によって大怪我をする子供がいたのは事実ですし、大怪我のする危険な遊具は撤去すべきだと思います。ですが、ちょっと怪我をしただけで「危険だ」と「撤去しろ」となっています。
子供のうちに遊具などで小さな怪我をして痛みを知り、危険なものの境界線を学びます。やって良いことと悪いことの境界線を学びます。他人の痛みを想像できるようになります。
その学びの機会が減り、もっと危険なものを扱える大人になった時、その境界線をわかっていない人は取り返しのつかない大怪我をするかもしれませんし、大きな事件を起こしてしまうかもしれないのです。

人間はミスを犯しながら何が良くて何が悪いかを学んでいく生物である以上、ミスのない人はいません。

大切なのは「ミスを犯していないか」ではなく、「犯したミスを反省しているか」であり「同じミスを繰り返していないか」です。

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つぼた

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坪田将知。SPOT DESIGN代表、プロダクトデザイナー。デザインバカの人。デザイン視点で何かを分析するのが趣味。ウェブサイト:https://spotdesign.jp