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人生の転換期 タイへ

前回から、だいぶ時間が経ってしまいすみません、、、続きます。

その日は突然やってきました。

アルバイト生活をそこそこ楽しんではいたものの、何か熱を入れて打ち込むものがない日々。サッカーやめてつまらなくなったなぁと感じることも増え、無気力状態にもなりつつあったある日、突然、父親がタイに赴任すると聞かされた。

父親は、もともと、よく海外に単身赴任であったり、長期出張に行っていたので、またかぁ、、、と感じたくらいだった。だけど、今回は家族で行く、と。行き先はタイ。自分は当時、高校2年生、大学受験ももうすぐという時期、祖父母の家に残る選択肢もあったのだけど、なんとなく流れで一緒にタイへ、、、ただ、この決断が結構大変なことに、、、

当時は何も考えずにタイにいったが、実は、17歳で海外に行くのは結構チャレンジらしい、というのを後で知った。英語堪能であれば別だが、自分はそれまで完全ドメ人間。英語も赤点レベル(というか、ほぼ全教科赤点。。。)。当然、大学受験控えた猛者がいるインターナショナルスクールも簡単には受け入れてくれない(現地の日本人学校は中学まで)。タイにいったはいいが、受け入れてくれる学校がなかった!!これはショックだったし、ちょっと焦った。

結局、バンコクにあったインター校はすべて落ちて、バンコクから片道3時間かかるBanchangという町のインター校に入れた。そこはテストもなく、面接のみ。その面接も親父が話して終わり。自分は、HelloとMy name is...を言ったくらい。入ってからわかったが、日本人は初だった。たぶん、授業料さえ払えばだれでも入れた、、、みたいな学校であった。。

入学が決まり翌週から、日曜夜にバンコクからBanchangの寮に親父の車で送ってもらい(3時間!)、授業を。金曜の授業が終わったら、近くのパタヤまでスクールバスで送ってもらい、パタヤからは公共バスで自力で3時間かけてバンコクへ。バンコクのバスターミナルから、家にバイクタクシーに乗って帰る生活を送った(タクシーだと渋滞で数時間かかっちゃうので)。正直、最初パタヤからバスで返るのはだいぶ勇気ある行動だったなと、、、タイ語わからないし、バスの中はタイ人だけだし、バスが通っている道が正しいかもわからないし。自分もよく帰ったなと思うけど、それ以上に、両親はよくこんな選択したな、、、と思う。

学校は、タイ人が多かった。6,7割がタイ人で、残りが欧米か中華系。おそらく、バンコクの学校を何らかの理由で行けず、Bangchangに来ている富裕層の子供たち。インター校といっても田舎の学校。寮といっても栄養管理された食事がでるわけでもなく、食事は、近くの屋台から買ってきたタイ料理。あとは、パン、ジャム、コーンフレークみたいな。

日本人もいないし、英語もタイ語もわからない。最初は食事も口に合わずに、最初の1週間で5kgも体重が落ちた。金曜夜にバンコクの家に帰って、さすがに親もびっくりして、日本に戻ろうかと話したかな、、、でも、このまま帰れるかという思いが一応自分の中にもあったらしい。一度飛び出た日本の学校に今更戻れないし、自分しか日本人がいないインター校をこのまま去れない、、、

サッカーやめて、無気力になった自分にも、そんな大和魂というか、なんというか、プライドのようなものがあったんだなと。とはいえ、日本にいた夏から数か月、17歳にして割と崖っぷちの状況に追い込まれた。。。この状況を挽回するのに必要だったのは、「サッカー」でした。



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