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「練馬」 12/15

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              *
 
 現在時刻は十九時半。私は自室の机でこれを書いている。
 唐突で驚くかもしれないが、既にあの日から随分時間が経っている。今の私にとって、あの夏の出来事は、半年以上も過去の話になる。

 そして残念ながら彼女との再会の事は細かく書かない。これは既に私の中で決定しているので反論は無駄である。
 私は一度あの日の事を事細かくメモを取ったのだが、あまりの恥ずかしさに出来上がってから自室で転げ回った。そのメモに関しては抹消はしていないが隔離する事になった。
 私の持つ最大限にセキリュティ性の高い金庫の中でそれは眠っている。絶対に誰にも見せない。それは私自身も例外ではない。何故削除しないのかと聞かれてしまうとバツが悪いのでこれ以上この話はしたくない。ああ、思い出すだけで恥ずかしい。

 あの日のメモを封印してしまって随分経ってから、彼女との再会について記録されたメモが他にない事に私は今更気付いたのだった。
 全く何の記録も残さないというのも私のメモリストとしてのプライドが許さない。メモリストなんて言葉がある事を今初めて知った。

 私にとって彼女との出会いはやはり大きなイベントであった事には違いなかった。したがってしっかりメモを残しておこうと思う。
 彼女との再会の日、私達はあの後埋め合わせのデートをする事になった。既に夜になっていたので、カラオケに行ったり食事に行ったりした。
 特筆して書かなければいけない事は何も起こらなかった。何も起こらなかったのにその内容を事細かくメモに残してしまった。何でもない会話の一つ一つまで抽出して書いたものだから悶絶して転げ回るのも無理は無い。ああ、思い出すだけでゲボが出そうだ。
 そこまでは絶対細かく書かない。今度こそ間違わない。自尊心を最大限に尊重しつつ書き記す。

 彼女と私の話をする前に、私自身の話を少し語っていこうと思う。

 私は以前彼女とのデートが決まってから、約束の日までの数日間、私は異常に舞い上がっていた。池袋駅まで目的も無く電車で行った日は、特に酷い。錯乱状態だったといっていい。今でも意味が解らない。
 しかしあの日マクドナルドで隣に座っていた若い女性の二人組が、「まさし」の悪口を言っていたのを聞いたのは何故か今でも覚えている。人間くだらない事ほど覚えているらしい。まさし、元気にしているだろうか。彼女達は陰口を言う嫌なやつかもしれないが、決して暴力は駄目だぞまさしよ。振り上げたこぶしを下げる勇気を持ちなさい。

 そして練馬の街は当然相変わらずだ。ほとんど何も変わっていない。私が利用していた本屋が潰れてしまったくらいだろうか。あの時は、何故こっちの本屋が潰れた!と怒りを覚えた。
 しかしどういうわけか本屋が潰れた直後、そのテナントに参入してきたのはまたもや本屋だった。ここは元来本屋でならなければならない土地なのかもしれない。以前より品揃えも良くなった気がするので大いに満足した。

 しかし街そのものは変わっていないように見えても、この街に居る人はたくさん入れ替わっているに違いなかった。それに一々気付く事は私ごとき小さな人間には到底無理だった。それほどこの街は大きい。
 しかし、あの夏の間に出会った人の何人かは今も変わらず練馬人のようだった。

 ドトールコーヒーのジジイ達は全く持って相変わらずだ。前にこのジジイ達が、次に開催される東京オリンピックは俺達じゃ見られない。とかなんとか言っていた様な気がするが、このジジイ達はどうせ2020年まで生きて居るに違いない。そう思わせる程の変わらなさだった。

 つい先日ドトールコーヒーを訪れた際にジジイ会議を久しぶりに聞いのだが、「スイカの種、一緒に食べちゃう派、捨てる派」に別れてコーヒーを片手に大議論をしていた。
 どうでも良すぎる内容が何故か面白くて私は笑いを堪えるのに必死だった。全く関係無いが私は幼少期、祖父にスイカの種は食べると胃の中でスイカに育っちゃうよ、と脅されてしばらく信じていたことがある。胃の中であんなでかいものが育ったらきっと死ぬと思ってビクビクしていた。
 いたずら好きの祖父だった。

 勉強を頑張る大学生も依然健在だった。
 この場合の大学生は最早私にとって個人を指すものではない。顔など一々覚えていない。しかし喫茶店には勉強を頑張る大学生が必ず居るものなので、私はそれを見て「おっ今日も頑張っているな。頑張れ」と思う。つまり私にとって彼らは一人ではなく集合体である。

 美容室のおじさんも相変わらず頑張っていた。現在も利用しているのでたまに会う。娘さんがバレンタインデーにチョコレートを作っていて、てっきり自分用だと思っていたら小学校のクラスメイトに渡す用だったという話を最近聞いた。
 それを話す彼の落胆振りが見ていて愉快だった。彼自身それを面白話として語ってくれたので、失礼にはならないだろう。私は、好きな男の子でもできたんですかね?とからかったら、おじさんは「それはリサーチしなきゃなりませんね」と真面目に呟いた。娘さんが本当に大事なようだ。未来の娘さんの彼氏はきっと大変だぞ。頑張れよ。

 煙草のキャンペーンガールと会った日の事は、今もよく覚えている。いやあ明るくて元気で良い子だった。そして彼女も相変わらず明るくて元気だ。
 あの日以来二度目に彼女を共同喫煙所で見かけた時には、私の中の自意識過剰の怪獣が雄たけびを上げた。「居るやいなや喜び勇んで飛びついて行くとは恥ずかしくないのか!グオオ!」彼のせいで私は結局一度その場を通り過ぎた。しかし三十メートル程歩いている間になんとか自意識過剰の怪獣を捻じ伏せた。近頃は自意識過剰の怪獣も弱くなってきているようだった。

 その日も以前と変わらず世間話をした。彼女の仕事はどうやら販促として成功しているようだ。何故ならその日、私は四百八十円の高価な煙草をその場で買ってしまった。
 このままではいつかは謎のツボを謎の美女に買わされそうだ。用心しようと決心した。


 彼らは変わらず練馬人だった。練馬の生活そのものだった。それは私も同じだ。この街の一部であり、この街は私の一部でもあった。
 しかしそうでない人も居るようだった。

 彼女は私と最後に会った日からすぐ帰郷してしまった。
 あの日以降会っていないので彼女の話は全部嘘で、今も練馬に住んでいるという可能性も確かにあるが、私は彼女の言葉を信用しようと思う。
 実家のある秋田県で既に結婚をして新しい生活が始まっていることだろう。私にとって彼女は当時特別だったかもしれないが、街にとってはそうではなかった。彼女の不在をもってしても街そのものの様相は変わることは無かった。

 最後に彼女と会ったあの日、食事の席で彼女は相当酔っ払った。私も習って酔っ払ったので酔っ払い二人組みだった。初めは十日と十四日に約束を破った事に対して何も言わなかった私だったが、やはりどこかで彼女に一言物申したい気持ちがあったのだろう。
 酔った私は、なんで来なかったんだ!と怒号を上げた。

「悪いと思ったからあれから探してたんじゃん!大体一回許すって言ったんだから許せよなあ」

 彼女も私も酔っ払いだったので容赦が無かった。私自身、実際そこまで怒っていた訳ではない。新しく出来た友人と喧嘩をしてみたかったという気持ちの方が大きかった気がする。実際それは楽しかった。

 結局問い詰めた所で彼女が何故十日と十四日に来なかったのかははっきりとしなかった。辞めたはずの職場に仕事を頼まれて困ってるという話をしていたので、それが原因かもしれなかったが、直接的には言わなかった。
 そんな事は既に私にとってどうでも良かった。
 気兼ねなくお互い話が出来る事が嬉しかった。彼女に対して一人の人間として接することが出来た事は、私にとって大事件だった。私の中の自意識過剰の怪獣は突然の事態におろおろとするばかりで、脳内議会はたくさんの自分的法律改正に追われていて忙しいようだった。

 そんな事を考えていたように思う。

 彼女とのデートは振り返ってみれば本当に普通だった。
 楽しかったが会話の一つ一つは今となってはまるで思い出せない。半年経った今は、断片的にしか記憶に無い。私は私が想像しているよりデートというものが普通なのだと学んだ。
 勉強した。勉強は良い事だな。

 その後私は彼女とカラオケに行ったのだが、ここでの話は一切触れたくない。先に話した恥ずかしさに部屋中転げ回ったのは、きっとこの部分のせいだ。
 何しろ私の歌った歌があまりにも恥ずかしかった。私は結局この一曲しか歌わなかった。好きな歌なのは事実だが状況との合致が凄まじいラブソングだった。
 君を思い出せば胸が苦しくてとか、夢の中で僕等手を繋いで飛んでたとか、かけがえのない愛しい人よとかそんな内容の歌詞だった。
 恐ろしく恥ずかしい。しかもここでも結局話してしまった。

 まあこの書き方ならギリギリ私の自尊心は耐えられそうなので許可の判子を押すことにする。
 しかし一つだけ注釈したいのだが、私は彼女の事を恋愛対象として好きだったわけではない。その辺は勘違いしないで欲しい。人として憧れていただけだ。これは全くの嘘ではない。

 じとっとした目で私を見るのをやめろ!

 彼女はたくさん歌を歌ったが、上手かったという事以外に思い出せることは全く無い。何の歌を歌ったのかも全く覚えていない。失礼な話だ。

 それから私達は練馬駅の北に流れる石神井川まで歩いた。
 この時の事はよく覚えている。
 お互い長い時間話込んだので、おしゃべりモンスターの彼女ですらしばらくの間黙ったままだった。私は基本黙ったままなので、二人は無言のまま川沿いの歩道をゆっくりと歩いていた。
 静かで良い時間だったのを覚えている。しかし彼女が突然「おい!」といいながら背中をバシッと叩いてきた時には驚きすぎて腰が抜けそうだった。

「何か話しなよ」

 彼女はその後驚いて腰が抜けそうになっている情けない私を見てくすくす笑っていた。

「ねえ、結局あの日は何してたの」

 彼女は最初に私を見かけた時、私が携帯電話で何をしていたのか気にしていたのを思い出す。
 雲ひとつ無い静かな夜だった。石神井川のほとりは練馬駅周辺の喧騒とは全く無縁だった。流れる水の音だけがずっと変わらず聞こえていた。

 その時の私は何しろ気分が良かった。携帯電話を操作して、彼女と出会った日に書いていたメモを表示してそれを彼女に見せた。
 こんな内容のメモだった。
 
              *

13へつづく

著/がるあん
イラスト/ヨツベ

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