「練馬」 11/15
この時の私の精神状態は言葉では表現出来ないだろう。出来ないのはきっと私の文才が無いからである。以上。
以上ではない。以下続く。
彼女が再び私の目の前に居る。果たしてこれは本物なのだろうか、謎の思考に陥る。私は混乱していた。
「えっと、もしもし?」
どうやら私の意識は遠い昔遥か彼方の銀河系に居たようだった。ハイパードライブで今地球に帰ってきた。彼女は私の目の前で手を振っていた。
あ、うん。
そんな言葉しか口から出てこなかった。私は金剛力士像の両名を読み上げていた。
私にしてみれば珍しく、彼女をまじまじと見つめていた。さっきから本物なのだろうかと考え続けている。落ち着きなさいよ。大体本物でなかったら一体何だというのだ。偽者だとでもいうのか。この場合の偽者とは一体何なのか君は説明できるのか。
しかしそう思ったのも少し解る。今の彼女は前回会った時の印象と随分違ったからだ。それによって私は次に彼女から出る言葉を予想出来た。そしてそれは当たった。ジャストミート。
「この間はほんとにごめんね。待ってた?」
何と返事をしたらいいのか全く解らない。
私にとって彼女の事は既に終わった事として片付けようとしていた事案だった。今更彼女に何と声を掛けて良いのか思いつかない。
確かに一時期は本当に舞い上がった。それは認める。彼女に対して勝手に名前を着けたりして脳内ではよくその名前で呼んだりした。
今思えばその恥ずかしさに思い出すだけでゲボが出そうだった。実際一度ゲボを吐いた気がする。一度吐いたゲボとは彼女と食事に行った日の帰りに吐いたゲボだったので、このゲボとは全く関係なかった。ただ酒の飲みすぎてゲボを吐いただけだった。
思考が混乱しすぎて滅茶苦茶だった。元々何を考えていたのか思い出せない。
彼女は相変わらず美しかった。持っているカバンが違うだけで格好はあの日のままの黒のワンピースを着ていた。黒髪ストレートは相変わらずど真ん中の剛速球だった。時速157キロくらいは出ていると思う。切れ長で大きな瞳は私を見つめて微動だにしていない。彼女は瞬きをしない種族なのかもしれない。相変わらず錐のように鋭い視線だった。
私はとにかく混乱していた。混乱した時に全く関係ない事を考えようとするのは、自分を落ち着けたいという所から来ているのかもしれない。おお、確かにそうかもしれない。あとでメモしておこう。
困った事にどうにもこうにも上手く言葉が出てこない様な予感しかない。タイミングが悪く喉もいがいがしているので変な声が出る可能性も非常に高い。そもそも何といったら良いのか候補すらあがらない。ホワイトボードは真っ白のままだ。脳内議員達は気まずそうに俯いたまま誰も発言しようとしない。
取り合えずなるべく彼女に気を使わせないようにしなければ。
結果私は首を振る事で意思表示した。
情けなし。
「本当に?本当にごめん」
彼女は座ったまま頭を下げて謝った。彼女のストレートヘアーがぱらぱらと肩から机に落ちた。
そして私はようやく少し落ち着いてきた。落ち着いてきてとても不思議な感覚になった。
彼女の印象がやはり以前とは大きく違うような気がした。
以前会った時ほど輝いて見えなかった。
いや、以前と寸分違わず美しい容姿をしている。それは間違いない。これは意味が少し違う。どうやら私はあの日から今日までの間に人間が少し変わったらしい。
私は初めて彼女に会った日の事を思い出していた。
そしてあの日、ズボンのチャックが完全に開いていたのを指摘されたことを思い出して恥ずかしさに頭を抱えた。全く重要ではないこと程鮮明に覚えているものなのだな。
あの日の私にとって彼女は眩しく輝いて見えた。しかし実際に輝いていたわけではない。彼女は全身ミラーボールで出来た人間ではない。
結局私は自分自身をどこまでも見下げたかったようだった。私とは違う。私とは違う。そう思っていたかった。そう思っていじけているのが好きだったのだろう。思い込むことで現状に甘えていたのかもしれない。
しかし今目の前にいる彼女は、私と同じ人間のようだった。どうやら私は本当に変わっているようだ。彼女も、私も、この場所から見えるすべての人も、私と同じ人間に見えた。
いつ変わったのかは全く解らなかった。やはり変化は緩やかで気付くことが出来ない。
イメージの中だけで肥大し続けた由梨絵さんという人は、この世のどこにも居なかった。
頭を上げて。全然良いよ。大丈夫。
彼女はゆっくりと頭を上げた。
「ありがとう。また会えて良かったよ」
そして彼女はやっと笑顔になった。
一ヶ月前に見た笑顔そのままだった。
しかし私には初めて見た様な感覚があった。
*
著/がるあん
イラスト/ヨツベ
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