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続・戦場を生きるあなたたちへ - 映画『チワワちゃん』-

光の使い方が印象的な映画だった。
きらきらと弾けるような光や、くらむような閃光。そして爆音で響く音楽の中で、彼や彼女たちは踊りつづける。それは享楽的で、刹那的な光景に見えた。輝いている瞬間に終わりがくること、そのせつなさと痛みが、もうすでに漂っていたから。

先月あったバラバラ殺人事件の被害者の身元が判明したと今日の新聞に載っていた。 

 『千脇良子 20歳 看護学校生』

それが、あたしの知っている「チワワちゃん」のことだとは最初思わなかった。 大体あたしは「チワワちゃん」の本名すら、知らなかったのだ―――

岡崎京子の同タイトルの漫画を原作としたこの映画は、語り部のミキ(門脇麦)が、殺されてしまった知り合い以上友人未満のチワワちゃん(吉田志織)の存在を、周囲にいた仲間が語る言葉から浮かび上がらせていく話だ。そばにいたはずなのに、失ってから気づくのだ。彼女についてなにもしらなかったことに。

私たちはチワワちゃんと遊んだり
おしゃべりしたり
悩みを打ち明けたりした

キスしたり
セックスしたり
恋をしたり
憎んだりした人もいた

私たちは東京の街で、チワワに出会った
なんとなく、こんなところで

現代版にアップデートされているから、スマホもSNSも出てくるけれど、原作漫画が描かれたのは1996年。ミキやチワワちゃん、チワワの恋人・ヨシダくん(成田凌)や友人たちは、クラブ、光と音楽を介してゆるくつながる仲間だった。本名なんか知らなくても、同じ場所で同じ時間を過ごす、それだけで成立する。SNS的なつながり方だ。

若者はいつだってさみしい。
それは90年代でも現在でも変わらない。
ティーンエイジャーから20代中頃までは、なんだか毎日ゆらいでいる。身体だけは大人になっているのに心がついていかない。

たぶん、まだわからないのだ。
人との本当の意味でのつながり方が。
本当の意味で仲良くなる方法が。
助けを求めたり
そんな相手を受け止めたりする方法が。

だから、
嫉妬してしまう。
だれかの体を激しく求めてしまう。
SOSを求めてきただれかに冷たくしてしまう。
しつこく言葉で愛情を確かめてしまったり、
暗がりに吸い込まれてしまったりしてしまうのだ。

さまざまな人の口から語られるチワワちゃんはいろんな姿をしていた。チワワちゃんは奔放で、見る人によっては「殺されて当然」だったのかもしれない。けれど、それは自分の欲望に素直で正直でまっしぐらだったからだ。たくさんの人から、ちゃんと愛されたかった。
それだけ。

ただ、人より輝いている上に、輝きからも寄ってくるような人だったから、その分影も濃くなっちゃって、孤独が浮き彫りになってしまったのだ。彼女はそれに飲まれてしまった。

昨年公開で、同じく岡崎京子原作の『リバーズ・エッジ』で描かれた、高校生たちの「平坦な戦場」の先、魔法のトンネルを抜けた後にも、実は地つづきでまた違う「戦場」が待っている。自分で自分の孤独を受け入れ、それでも自らの両足で立てるようになるまで、その「戦場」はゆるやかに続いていく。

私は大人になってしまったから。
(とはいえ、まだだれかを救うような力がある気はしないけれど)とりあえず自分の足できちんと立ち、歩くことはできている。その足が歩みを止めそうになった時、どうやって周りに助けを求めるべきか、その方法もわかる。映画の中のミキやチワワちゃんを観ていて、彼女たちの若さ澄みわたるみずみずしさと、若さゆえの未熟な脆さに、もはやなつかしさと甘美を覚えてしまった。

平坦な戦場や、その先の戦場を、たまたま運良く生き抜いてきただけの私から、彼女たちにかけられる言葉なんてない。

でも、戦場はそのうち抜けられる。
死んでしまったチワワちゃんのことは、汚い社会の、汚い大人の言葉で、どうとでも形容されてしまうけれど、彼女の生きた証は、あなたたちの心と言葉の中にある。それが、間違いなくホンモノなのだ。

いい映画だったな。


それにしてもすごい配役だ。
門脇麦の期待の裏切らなさはもちろん(演技のうまさもすごいけど、やっぱり声がとってもいい女優さんだ)、チワワ役の吉田志織が繰り出す「底抜けに明るい虚無」もすさまじかった。いちばんときめいたのはナガイ役の村上虹郎。彼の純粋さとまっすぐな瞳にすっかりやられちゃいました。村上虹郎をナガイ役に抜擢してくれた監督(なのかな?)、ありがとう、ありがとう、、、


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