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『ガールズ・ブルー』と読書のこと


この間、『ガールズ・ブルー』という小説を久方ぶりに読み返した。女子高生たちのみずみずしい青春を、『バッテリー』のあさのあつこが描いている。

彼女がつくり出す物語は、シンプルなのに力強さに満ちている。飾り気がないのに豊か。するりと入ってくる端的な文章なのに、ぐさりと胸に刺さる。そういうところが好きだ。

【あらすじ】
落ちこぼれ高校に通う理穂、美咲、如月。十七歳の誕生日を目前に理穂は失恋。身体が弱く入院を繰り返す美咲は同情されるのが大嫌い。如月は天才野球選手の兄・睦月と何かと比較される。でもお構いなしに、それぞれの夏は輝いていた。葛藤ながら自分自身を受け入れ愛する心が眩しい、切なくて透明な青春群像小説。


私はこの作品をとても気に入っていて、定期的に何度も読み返している。はじめてはたぶん、小学生の頃。図書館で借りたハードカバーで読んで、中学に上がってから写真にある文庫を買った。

この小説を読んでいて思い出したことがある。中学の頃につけていた「読書ノート」のこと。私の通っていた中学は地元の公立校だったのだけれど、国語教育のモデル校になっていて、授業の内容や朝読書にものすごく力を入れていた。

その一環でやっていたのか、個人の趣味で私だけがしていたのかもう覚えていないけれど、私は「読書ノート」をつけていた。読んだ本の感想(といっても、本のタイトルと作者名、あらすじ、印象に残った一節を書き出すくらいだった気がする)を記録し、国語の先生に提出してはコメントをもらっていた。

今回『ガールズ・ブルー』を再読する中で、心を動かされた箇所があった。そこを目で追ううちに、「あぁ、そういえばあの頃も、ここを抜き出してノートに書きつけたなぁ」と当時のことがよみがえってきた。

あんたは、負けないよ。負けたことなんて一度もないじゃないか。美咲だけじゃない。あたしたちは負けないのだ。しょっちゅう酸素呼吸器や点滴のお世話になっていても、万引きを疑われても、「いくら?」とおじさんに尋ねられても、高校を退学させられても、負けてしまうわけには、いかないのだ。-p.154

これは主人公の理穂が、美咲の見舞いに行って彼女と会話したときのモノローグだ。虚弱な身体とは相反して、気が強く口が達者な美咲の、「死んでたまるかって思う」にはじまるセリフを受けてのもの。

彼女たちの通う高校は、地元で「恥」とされるおちこぼれ校だ。勉強がきらい、がんばってもできない。そういう生徒たちの掃き溜め。だから、勝手にかわいそうなことにされたり、偏見の目を向けられたり、抑圧されたりがしょっちゅう起こる。しかし、この逆境だらけの青春を、17歳の理穂たちは身ひとつで果敢に立ち向かっていく。

この生命力のまぶしさに、ローティーンの私は憧れを抱いたのだろう。そして、現在の私はうらやましさを覚えている。心の底から湧いてくる、新芽が土を蹴破って出てくるときのような力強さは、もういまの私にはないから。過去の自分と同じ部分に惹かれつつ、受け取り方が変わっていておもしろい。ここに、本を読み返す醍醐味を感じる。


ここからは完全に余談。
読書ノートのことと同時に、「読書マラソン」という取り組みも思い出した。1年のはじまりに記録用紙が配られて、読んだ本のタイトルとページ数を記すようになっていた。学年末にそれは集計され、読んだページの総数が多い1位から10位までの人は、全校生徒の前で表彰をされる。

私も1年生のときだけだったと思うけれど、10位か9位に入賞した記憶がある。本の虫のつもりだったのに、上には上がいてびっくりしたっけ。

あの頃から何度も引っ越しをしているので、読書ノートも、読書マラソンの記録用紙も、とうに姿を消してしまっている。いま見たらおもしろいだろうになぁ。すごく残念だ。



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