分かり合うということ -『生きてるだけで、愛』を観て。

 「分かり合いたいのに、それができない」ということに、しばしば無力感を覚えてしまうことが、私にはある。「どれだけ言葉を尽くせば、伝わるのだろうか、わかってもらえるのだろうか」と、途方に暮れるあの感じ。自分と他者との間に横たわった埋められない溝が、深ければ深いほど、長ければ長いほど、複雑な形をすればするほど、その感じは大きくなる。自分だけではどうしようもないから、黙る、忘れようとする、無理に折り合いをつけようとする。ぶつかるよりは、避けた方が自分が傷つかずに済むのではないかと思って。

 先日観た『生きてるだけで、愛』という映画の中で、趣里演じる主人公の寧子(やすこ)は、自分を尽くして「分かり合おう」としていた。「生きてるだけで、すごく疲れる」と彼女は言っていたけれど、当然だ。途方もないことに、正面からぶつかっていくのだから。彼女の痛々しさに終始全身に力が入り、鑑賞後はくたくたになってしまったが、その分とても心に残る映画だった。

他者と分り合いたい寧子

 鬱で過眠症を患っている寧子は、無職。週刊誌の編集部に勤める恋人の津奈木(菅田将暉)とは違って、朝は起きられない、感情は抑えられない、何をやってもうまくいかない。彼に当たり散らしてしまう自分、実の姉や津奈木の元恋人・安堂(仲里依紗)に「あんたは終わってる」と責められ続ける自分に嫌気が差して、どうにか自分を取り戻したくて動いてみる。だけど、小さなことがすべて壁となって立ちはだかり、自分の無価値さに泣いて暴れることしかできない。ひょんなことからはじめたバイトでは、いい人と巡り会い、この場所を守りたいとさえ思えたのに、圧倒的な「分かり合えなさ」に気づいて自ら壊してしまう。津奈木とだって、分り合おうと寧子が言葉を尽くせば尽くすほど、彼はそれを無難にかわしてしまう。それは彼なりの、寧子への愛情なんだけれど、それがうまく伝わらない。「分かり合えないからつらい」寧子と「分かり合えなくても良い」津奈木のスタンスは、交わらず平行線を辿る。

自分とも「分かり合いたい」

 寧子が鬱になった理由は最後まで語られることはないが、たぶん、彼女が自分自身と分かり合えない(=自分自身を受け入れられない)からなんじゃないかと感じた。自分が何で津奈木に怒ってしまうのか分からない、どうして生きているだけでこんなに疲れるのか分からない、と寧子は言う。本当はやさしくしたいのに、もっと器用に生きたいのに、なんでそれができないんだろう。バイト先ではことあるごとに、「あたし、大丈夫ですかね?」と問うシーンがある。カフェの店員として、自分は使い物になっているのか、自分の鬱病はいつしか治るのか。自分のことが分からないから、他者に分かってもらって、自分のことを再確認しようとしているんじゃないか。

「あんたが別れたかったら別れてもいいけど、あたしはさ、あたしとは別れられないんだよね一生」「いいなぁ、津奈木はあたしと別れられて」

 津奈木に抱きしめられながら、顔中を涙でぐしゃぐしゃにした寧子は、自分と分かり合えない自分自身と決別すること(=自分を受け入れること)のできない苦しみを吐き出す。このシーンは身に覚えがありすぎて、胸が張り裂ける思いだった。

寧子は何年か前の私自身だった

 私が私でなくなったらいいのに。なんで私は私を変えられないんだろう。苦しい現実から脱却したい。なのに、身体が言うことを聞かない。私の身体なのに。起き上がれないし、何時間でも寝てしまう。どうすればいいんだろう、どうすれば……。焦りとは裏腹に、どんどん自分自身が沈んでいく感覚。それはとても恐ろしかった。そういったことを鮮明に思い出した。だから私は、途中で何度もスクリーンの前から逃げ出したくなった。

 自分という存在を受け入れるのに、私はそれなりの時間がかかった。たぶん寧子もそうだろう。のたうち回るほど、苦しい。

「お前のこと、本当はちゃんと分かりたかったよ」

 津奈木がこう言った時、「『分かりたかった』という過去形=分かることができないという諦め=別れ」だとその瞬間は思ったけれど、「分かりたかった、分かれなかった。でも、それでも一緒に生きていける」という意味だったのかもしれない、と、いま振り返って思う。きっと、分かり合いたいと強くぶつかることも、分かり合えない上で受け入れることも、どちらも愛なのだ。寧子には津奈木がいる。だからきっと、傷だらけになりながらも、受け入れていけるようになると思う。自分のことも、他者のことも。大丈夫、私がそうなれたように、きっと「大丈夫」になる。

趣里も菅田将暉も、すごい。

 それにしても、趣里も菅田将暉もすごかった。予告編とポスターのうつくしさに圧倒されて、ふたりが同じスクリーンの中で物語を紡いでいるところが観たい!と思って映画館に行ったのだけれど、期待以上でした……。目、視線で演技する人を見るといつもハッとしてしまう……。そして、劇中音楽とエンディングがすごく良くて、エンドロール確認したら世武裕子でした。さすが……。

 余談だけれど本当にいちばんこわかったのは、津奈木の元カノ・安堂ですよね……。「私が津奈木とヨリを戻すために、別れてよ」と本人不在の状態で寧子に言ってしまえる神経。彼女の頭の中では、勝手に、津奈木を支える自分像ができてしまっている。津奈木はそんなことひとつも望んでないのにね。「私よりも重症じゃないですか?」と寧子がおそるおそる言ったシーンは、この映画の中でいちばん笑えた。そうだそうだ。

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