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思い出話

南極大陸に初めて足跡をつけた者はその寒さに酷く絶望し、同時にその劣悪な環境にすら適応する生き物に強い関心を示しただろう。新たな挑戦が新たな認識を生む、これは関心の一般的プロセスだが中学生の僕にとって情熱大陸は体育館にあった。

ペンギン


全校集会、偉そうな人や先生方が喋り終わるたびに皆が拍手をしていた。体育館ぎっしりと人が収容されているため多少風変わりな拍手をしても怒られない。僕の友達はくそうるせえ拍手をし、当時の僕は縄張りでも示しているのかと思ったがどうやら友達は無意識だったらしい。一方僕は特に意味もなく最後まで拍手する者、俗に言われる”終焉の灯火”を担っていた(言うか?)。夏の炎天下に飲まれた体育館はとても暑かった。長い話が終わり拍手が起こる。あとは毎度のように僕の拍手で静寂を迎える、なんてことない一連の流れだ。
「パンッ」
!?
体育館に聞こえてはならない音がした。一人、明らかに遅れて締めくくったやつがいるのだ。終わりの合図は、始まりの汽笛だった。

拍手

次、話、終了。拍手、終...
「パンッ」   「パンッ」 了。
勝った!(中学スラング!)め!!勝利の美酒に酔いしれた僕は浮いていた。当時は空を飛びたいと願っていたが思わぬところで夢が叶ったようだ。舞台では次の先生にさしかかろうとしている。
「パンッ!」
ッッッッッ!!!!!!??????
会場に轟音が鳴り響き、僕の晴れ舞台は終わる。それはもう終わりというには遅すぎる代物だった。肌が寒くなる。この時僕はやっと自分が勝ったのではなく勝負から降りたことに気づいた。
...負けた。”終焉の灯火”としての僕の受け皿は割れ、頭は真っさらになった。情熱大陸はとうに冷え込んでいた。

人類発足後、まだ”怒り”という感情がなかった時代、日本という島国に誰が”怒り”を伝播したのだろう。思えば僕に闘争心をくれたのはこの何者かだった。そして喜びや敗北、人は誰かから何かを貰って生きているのだ。僕の心は誰かの思いの集合体なのだろうと、明日はテストなのに勉強してないなと思いながら感傷に浸った。



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