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み と い の話

 すいません。

 皆さんはこの言葉についてどう思うだろうか。
 きっと一度くらいは誰でも口にしたことがあるだろうし、SNSやメールで書いたこともあるかもしれない。
 自分だって「すいません」と言ったことは何度もある。なんなら他人より多い自信だってある。
 さて、そんなどうでも良い自信はさて置き、僕はこれを人に言われた時に思うのだ。

「いや “すみません” だろ!」と。

 特にメールなどで誰かに謝られる際、「すいません」とあると「あれ?この人謝る気あるのかな?」と少なからず思ってしまう。
 どっちでも良いだろ。と、これ読む人は言うだろう。
 確かにそうかもしれない。
 それも自分では口で「すいません」と発音する時も確かにあるのだ。なのにこんな文句を言うなどどうかしていると自分でも感じる。

 何よりも言葉は移り変わっていく物だ。
 もしかしたら現在ではどちらでも良いのかもしれない。数十年も経てば「すみません」と記載する人間の方が間違っていると指摘されるかもしれない。
 だとしても。何が正しいか間違っているかの問題ではなく。感情として思ってしまうのだ。

「いやいや ”すみません” だろ」と。

 当然、友人とのやり取りや軽いノリでの「すいません」なら問題ない。
 別に謝るような話でもなく、「ごめん」で済むようなことならばそれでも良い。
 しかし。しっかりと謝罪するべき時に、それも口語ではなく文章で「すいません」と使われると、一瞬そちらに気が逸れてしまう。
 その一文で、この人を信用していいのか悩んでしまう。ビジネスの場であれば尚更だ。

 そんな自分なので、小説や脚本を書く際は誰にも気づかれないだろうと思いつつも、そういった点まで気を付けている。
 このキャラクターは「すみません」なんて畏まった言い方はしないな、とか。
 このキャラクターなら「すいません」という軽い感じだな。とか。
 そんな誰にも気づかれない拘りは、ただ自分が納得する為だけにやっているのかもしれない。
 全くもって面倒くさい人間である自覚と共に、こんな話に共感してくれる人も一人ぐらいは居てくれるかもしれない。そんな人が居てくれたら嬉しい。
 逆に最後まで読んだ上で理解できないという方は「めんどくさいな~」と笑って頂けたらと思う。それだけでもこれを書いた意味が生まれるというものだ。

 それでは今日はこの辺で。

 雑文すいませんでした。


#創作大賞2023 #エッセイ部門

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