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餃子のゲーム性とコミュニティの話
iPhoneの写真フォルダで「餃子」と検索してみたら、懐かしい各地の思い出とともに、お腹が空いた。
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東京・代々木上原にある「按田餃子」の水餃子は、くるっと巻かれたフォルムがかわいい。
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同じく東京・池袋の「開楽 本店」は、ジャンボ餃子が名物。
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餃子がご当地グルメになっている地方も複数ある。静岡の浜松餃子は、キャベツの割合が多くてヘルシーな感じ。
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福島の円盤餃子は、まさに「円盤」のように羽根がくっついていて食感もたのしめた。
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福岡の屋台で食べたのは、一口サイズの博多餃子。数年経った今でも、ぬるい夜風ごと思い出せる。
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現地ではないけど、沖縄料理屋さんで食べたゴーヤ餃子のむちむちした食感も印象的。
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境界線が曖昧だけど、とにかくぜんぶ美味しかった、香港の飲茶ディナー。
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ここまではすべてお店の餃子の話。焼き餃子や水餃子のほかに揚げ餃子などもあるし、具材も様々。
一方で、餃子といえば家でつくる人も多いかもしれない。私がそこでイメージするのは、誰かの家で、複数人で、わいわい包んだり食べたりしている光景。よりオリジナリティも発揮できるし、少なからずそこには盛り上がりと、ある種の"熱狂"すら生まれることもある。皮や具材、仕上げ方にはいくらでもこだわれるポイントがある。
餃子のおもしろいところは、バリエーションの多さと、特に包むときに崩れがちな「ゲーム性」の高さではないかと思っている。形がどんなに不恰好でも、タネの味がちゃんとしていれば、結局は美味しく食べてしまえる。けれどやっぱり、綺麗に仕上げたくて、熱がこもってしまうのだ。
ところで、最近はよく「ゲーム」と「コミュニティ」の関係性について考えている。私が小学生だった2000年代初期、同級生コミュニティの中心には家庭用ゲームやボードゲームがあった。ゲームをたくさん持っていたり上手だったりする子たちはクラス内でもカーストが高く、その子たちの周りに人が集まる構図ができていた。我が家はゲーム禁止の家庭だったので、なんとなく輪に入りづらかったのが義務教育時代の苦い記憶として残っている。
一方で同時期には匿名掲示板や個人HPが流行っており、見知らぬ誰かと繋がることで"居場所"を得ていた私にとって、ゲームを題材に繋がるオンラインコミュニティには近いものを覚えている。素性を知らずとも、言語が異なっても、「共通言語」としてのゲームがある。
遊ぶ場所が限られていた学生時代とは違い、今はどこにだって行ける。それ故、わざわざ自宅に招いてくれたり、逆に呼びたいと思えたりする友人たちは希少で貴重な存在だ。
この先、居場所としてのコミュニティをいくつ持っていられるだろうか。その中心にあるのは「餃子」という(時に中毒性の高い)ゲームなのかもしれない。
近々、我が家でも餃子パーティーを開いてみようか。
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