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「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」を読みました(2022.1.27)

 読書感想文。

 ブレイディみかこさんの著書、「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」を読んだ。
 図書館をぶらぶらしていたら見かけて、借りてきました。タイトルは聞いたことがあるな、程度しか知らなかった。表紙もなんだかかわいらしくて、内容は全く知らない状態で手に取ったので、『はじめに』を読んでめちゃくちゃびっくりした。イギリスに住む少年の生活を、母親がつづったものだったとは。

 せっかくなので、読んだ感想を記しておこうと思う。


1.世界のどこかにあるということ

・まず、私がこの本を読んで感じたのは、私の知っている世界だけが世界じ  ゃないということ。そんなの当たり前だけれど、ぼんやりと生きているとなかなかわからないというか。自分では想像もしてみなかったことが世界のいろいろなところで起きていて、それって、自分が取り入れようとしない限り出会わないんだと思う。

・自分の住んでいる国のなかだけだってわからないことたくさんなのに、他の国なんてなおさら。私は英国のこと、な~んにも知らないな、と終始思いながら読んでいた。そもそも教育が何年で区切られているかも知らなかった。日本は6年→3年→3年→4年なんかがありがちな流れだけれど(これもそもそも100%じゃないし)、7年生という考え方をすることに純粋に驚いた。


2.馬鹿にされるのってやだね

・「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」には、著者のブレイディみかこさんと、その息子さんの日々がつづられている。印象的だったのは、彼女らが実際に掛けられたり、出会ったりした差別的な表現の数々だた。

・にやにやした男に掛けられた「ニーハオ」も、親愛の情をこめたつもりの「パキ」も、読んでいてとても苦しかった。そうやって言われる相手の気持ちを想像できない、浅はかな人の行動だなあ、と思っていた。

 でも本当にそうなのかな、とも思った。相手の気持ちを全く考えていないから、こうなるのかな、と。

・先ほどの、「ニーハオ」の話を思い出してみる。これは、ブレイディさんと息子さんが一緒に出掛けた際に言われた言葉だ。この出来事に対する、息子さんの洞察の鋭いこと。非常に多様な観点から考えていて、こんなに冷静に分析できる人ばっかりだったら、どれだけ生きていくのが楽だろうか……と考えてしまった。

・その言葉を掛けた男は、一体何を考えていたのだろうか。薬やお酒で、まともな考えなんてないままに行動したのかもしれない。そもそも、何か意図があって行動している人ばかりである、という考えなんて思いあがりなんじゃないか。

・そう考えると、目の前の人のことを考えて行動するなんて面倒な気さえしてくる。それでも理性を捨てずに生きているのって、なんだか不思議な気がする。

・とりあえず言えるのは、馬鹿にされるのってやだねってことぐらいだ。


3.気づくこと、気づかないこと

・私が一番読んでいて苦しかった章の話。

 FGM(Female Genital Multilation)のこと。そういった慣習があることは、子どものときに読んだ本で知っていた。なんて本だったかな……。

・まず、その慣習がまだあって、学校の授業で言い聞かせる必要があるくらいの存在であることが、重い。
 知らない人が聞いたら、うそか何かだと思うんじゃないかな。だって、今の日本で考えられることと全然違うから。そのぐらい衝撃的な事実だと思うんだ。

・FGM、という単語が出てきた時点でだいぶつらかった。でももっとつらかったのは、その後のお話だったりする。
 息子さんのクラスに、アフリカ系の女の子が転校してきた。FGMの授業が行われたのは、そのせいかもしれない。しかし、その結果、もっと嫌なことが起こった。彼女が夏休みの間に、FGMを受けさせられるのでは、とクラスの女子が言い出したのだ。決して心配なんかじゃない。そこには、自分たちと彼女の間に線を引くような、距離をとって高みから嫌な顔を向けるような、そんな目があることは、本の数ページしかその出来事の情報を知らない私でもわかった。手に取るように感じられて、胸の奥が詰まってしまった。

・それだけではなかった。ブレンディさんが、彼女の母親と会ったのだ。もっとも、彼女は差別的な表現とか、相手への思いやりとか、そういったことを全然気にしていないように見えたけれど。きっと、日本にルーツのある人を中国人だと決めつけてしまうことの暴力性がわかっていないだけなのだろう、と思った。

 ブレンディさんが「どこか休暇(ホリディ)に出かけるんですか?」と話しかけた。それで事態は一変してしまった。「アフリカには帰らないから、安心しな」と、母親が去ってしまったのだった。決してそんなつもりはなかった。彼女を傷つけようなんて、思ってもみなかったのだ。

・どんなに頑張っても、失敗することはある。それは、ポリティカル・コレクトレス的な問題でも同じだ。誰かの地雷を踏まないように、どんなに気をつけて過ごしていても、気づかず思い切り踏んづけてしまうことだってある。

 このとき、相手が「傷ついた!」と言わない限り、自分が地雷を踏んでしまったことに気づけない可能性が高い。今回は、母親が刺すような目つきをして、踵をかえしたから、彼女を傷つけてしまったことに気づけたのだ。彼女が何も言わず、当たり障りないことだけを言って去っていったら、地雷があったことなんて、全く気が付かないんじゃないのか。

・気づきさえすれば、次にまた同じ過ちをおかすことは避けられるかもしれない。じゃあ、気が付かなかったら?ずっとそのまんま?
 こうやって考えては、落ち込んでいる。だって、これが本当なら、きっと私は幾千もの地雷を踏んできたに違いない。何人を傷つけているのだろうか。

 知らず知らずのうちにおっきなおっきな爆弾がさく裂しているんじゃないか。そう考えると、会話ってとても恐ろしいね。生きていくって難しいです。


終わりに

・読書感想文、と呼ぶにはあまりにも拙い文章になってしまった。だって作文って難しいんだもん。

・誰も傷つけず生きていくのってとても難しくて、かといって傷つけていいわけじゃない。じゃあどうやって生きていったらいいのか。自分なりに考えてみたけれど、よくわからない。よくわからないので、これを結論にしてしまう。「どうしたらいいか?」を突き詰めて、とことん考え、話し合うのがいいんじゃないかな。言葉を尽くして、一生懸命相手に向き合うことぐらいしか、できることはない気がする。

マルチカルチュラルな社会で生きることは、ときとしてクラゲがぷかぷか浮いている海を泳ぐことに似ている。

(145ページより)


 ここまでお読みいただきありがとうございました。
 続編も借りてきているので、読み終わったら感想を書きたいな。


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