家族の出来事は結局しゃーないの一言で片付いてしまう
今日は次女の卒園式。
これを書いているのが10時ちょいすぎ。
10時開式。
もう始まってます。
このブログを書いている私は自宅で長男(年小)のお守り。
実は先週15日(水)に次女がインフルエンザを発症し、自宅待機。
卒園式は大丈夫かーと思っていたのもつかの間、18日(土)に私(父)と長女(小3)が発症。
回復した20日(月)に長男が発症。
卒園式、終わった・・・・。。。_| ̄|○
これで私は欠席確定。
次女の入園式を欠席した(私自身の大学院の入学式に出席したため←後で考えたら入園式を優先すべきだったと気付く)ので、卒園式こそ!とか、長女のときは号泣してしまい、仲良くさせてもらってた担任の先生と写真を撮れなかった悔しさのリベンジを!とか、今日の卒園式に懸ける気持ちはあったのですが、こればっかりはどうしようもない。
ちなみに今日は勤務校の終業式でもあり、休みにくかったのだー。
今日を迎えるまでにいろいろ思うことがあった。
・家族という一つの生命共同体について。
・子どもの病気をもらうということ。
・ジェンダーのこと。
1つ目と2つ目のほぼ内容が被るかな。
自分一人で生きているわけではないということ。当たり前ですが。
数年前の自分なら「感染(うつ)しやがって!」と怒ってたんやろか?と想像してみたり、仕事ととの付き合い方は自分一人の体調だけと思ってたけど本当は家族の体調も考慮しないといけなかったと気付いたり、家族のだれも発症した人に対して悪く言わないしつらく当たらなかったり、予防接種は必要なのかなあと考えを改めさせられたり、etc...
3つ目のジェンダー。
どちらかが子守、どちらかが式に出席の場合、前者はだれでも、後者は母親。
選択も議論も余地なし。
そりゃ出たかった。
号泣したかった。
しすぎてまた写真撮れなかったーと担任の先生と笑いたかった。
でも、しゃーない。
結局そんな一言で片付いてしまう。
もうそろそろ式は終わるかな。
今日もありがとうございました。
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