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【エッセイ】現代社会の混沌と人々が求めるもの【中二病的世界観の拡大と侵略】

 こんにちは、山本清流です。


 前々から『夜に駆ける』はいい曲だなぁ、と聴いていたのですが。

 『夜に駆ける』のもととなった『タナトスの誘惑』という小説のあらすじを聞いて、衝撃を受けました。


 このストーリーラインが多くの人の心に響く現代社会について、

 ちょっとした分析を試みたいと思います。


 ※作者の個人的な分析であり、『夜に駆ける』を評価するものではありません。むしろ、評価対象は、『夜に駆ける』ではなく、一般大衆のほうです。とくに若い人たち。


 いまの僕の心の声は以下のとおり。

 『夜に駆ける』が歌っているのは、(誤解を恐れずに言うならば)希死念慮である。希死念慮がヒットするとは、つまり、人々に共通して中二病的世界観が隠れている可能性が高い。これからの現代社会の混沌において、ヒットするジャンルは『中二病×〇〇』ではないか。

 もちろん、小説を音楽にする企画性や、ボーカルのikuraさんのストーリー性など、ヒット要因はいろいろあると思いますが、


 今回は、物語の部分におけるヒット要因だけ取り上げます。

 かなりマニアックな分析になると思いますけど、引かないでください。


 ちなみに、僕は、小説を書いたりしているアマチュアです。ぜひ。


 【死への誘惑と中二病的世界観】

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 死への誘惑を表す作品は、近年、市場規模が拡大している印象です。


 死というテーマを歌う曲はいろいろあると思いますが、

 数年前には、他にもヒット曲がありました。


 あいみょんの『生きていたんだよな』です。こちらはもっとストレートに歌っています。自殺した人に対して、「ずっと苦しかったんだよな。勇気を持って死んだんだよな」と寄り添う曲です。


 また10年前のヒット曲であるSEKAI NO OWARIの『幻の命』にも、『UFOが僕をつれて消えていく』と、自分が死ぬことを仄めかしているような歌詞が含まれています。

 ヒット作を連発するセカオワには、ほかにも、死を連想させる楽曲が多くあります。


 映画と小説で大ヒットした『君の膵臓を食べたい』も、病気によって死んでいくヒロインを描いています。


 言うまでもないかもですが、死は魅惑的です。

 小さな子供が「傷がついてる僕ってカッコいい」と思うのと似ています。


 いわゆる中二病的な世界観であり、

「なにカッコつけてんだよ」というのが一般大衆かと思いますが、


 近年、中二病世界のファン層が拡大している印象です。(僕も好きです)


 【なぜ、中二病的世界観はヒットするのか】

 正当な方法でプライドを守れないから、だと思います。

 社会的に正しい自分であれば、わざわざ社会から逸脱する考えで防御する必要がありません。


社会的に自分は正しくない」と感じている人が増えてきているのではないでしょうか。


 不登校児童数や非正規雇用割合は全体に増加している現状です。また、近年になって、うつ病患者数が急激に上昇しています。引きこもりが社会問題化していることも、いまさら、指摘するまでもありません。


 大事なのは、そういう人たちがいることよりも、そういう人たちを生みだす社会であるというところです。

 不登校や引きこもりの人たちに限らず、「社会的に自分は正しくない」と感じている人が多いような気がします。


(不登校や引きこもりの方が社会的に正しくない、とは筆者は思っていませんが)


 社会のスタンダードとは違うところにプライドを置こうとする。

 そこに、中二病の世界観が築かれるのだと思います。


 【単純な物語には共感しにくい時代】

 社会が複雑化していく中で、物語も複雑化していく必要があるかもです。

 とくに正論を具現化したような物語は響きにくいと思います。


 そもそも、正論は嫌われるかもです。

「自分が正しくない」と感じている人たち、あるいは、そのような潜在性がある人たちにとって、正論は自分を傷つけてくるもの、だからです。


 わざわざ、傷つきたい人はいません。

 この、中二病的エンターテインメント世界が本当に拡大しているなら、


 「中二病×〇〇」というジャンルは狙えるかもです。

 以下、中二病をあらためて定義したいと思います。


 【中二病の作品を生み出すために】

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 社会的な価値観から逸脱するものを好むことを、中二病と呼ぶことにしましょう。

 死は魅惑的だ、と感じたり、トラウマはカッコいい、と考えたり。


 【中二病の作品を生みだすには】

 逆説的ですが、社会的な価値観に詳しくなったほうがいいのでは、と。


 社会を逸脱できるのは、「これが社会だ」という認識があるからです。

 「これが社会だ」という認識を突き詰める必要があります。


 【社会を知るには】

 これまた逆説的ですが、普遍性を探る必要があります。

 社会の中心にあるものはなにか。


 普遍性を見つけたら、

 その普遍性の外側に目を向けるのです。


 そこに中二病的世界観が見つかるかもです。


 【作品がヒットするとき】

 僕が個人的に思うのは。

 音楽とか、小説とか、映画とかの文化的な営みって、


 人々の共通認識を刷新するためにあるような気がします。

 つまり、ヒットするのは、新たな共通認識を提供する作品ではないか。


 それも、その共通認識に共感が集まらなければいけません。


 すでに世の中の多くが「A」だと考えているのに、社会的に「B」だと言われているようなとき、

「Aですね」という作品が出てくると、ドカンとヒットするのでは、と。


 世の中の人たちの聞こえない声を探り、掘り出す作業が必要です。


 【しかし、僕は、自分の書きたい作品を書くかも】

 とはいえ、結局、自分の書きたい作品を書くかもです。


 なんというか、狙ってヒットするのって難しい気がする。

 自分のやりたいことをやっていたら、なぜかヒットした、というケースが多いのでは。


 しかし、なにが求められているのかを考えておくことも重要。


 なんだか、どっちつかずの山本清流でした。以上。ありがとうございました。