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【現実論】物語におけるショッキングな描写の影響について【物語も心的外傷を与える】
こんにちは、山本清流です。
映画やドラマを観て、心的外傷を受けたことがあります。
その点、戒めを込めながら、執筆姿勢について考えてみたいです。
いまの僕の声は以下のとおり。
物語は感情を高ぶらせるための装置である。感動とか、恐怖とか、憎悪とか、幸せとか、さまざまな感情を高ぶらせるために設計されている。そのため、その人の過去のトラウマと関連するシーンは、そのときの感情を増幅させる危険性がある。もちろん、物語上避けられないことはあるかもしれないが、一応、その影響については留意しておくべきかもしれない。
この心の声について、以下、深掘りします。
持論なので、そのつもりでお願いします。
【物語は感情を高ぶらせる装置】
物語は、それに触れる人の感情を特定の方向に持っていって、高ぶらせるように設計されています。
利用方法を誤れば、ある意味、危険なものでもあります。
【精神科病棟では、小説は禁止される場合がある】
精神科病棟では、小説が禁止されたりします。
小説も物語なので、なんらかの感情を増幅させたり、刺激したりします。
小説を読んだ影響でパニックになり、
自傷行為や他害的な行動に出る人が少なからずいるのです。
感情を刺激する情報に触れることは、危険なことです。
ふつうに生活を送れている人にも、あてはまることだと思います。
【僕の体験談】
物語に触れて傷ついた経験は数えきれませんが、
とくに心的外傷と言えるくらいのダメージを受けたことは二度あります。
【ハリー・ポッターの映画】
『ハリー・ポッター』が大好きで、公開当時は映画館へ観に行っていたのですが、
たしか、『死の秘宝』のあるシーンで、
ハリーのペットであるフクロウのヘドウィグが殺されるシーンがありました。
映画の視聴後、そのシーンが繰りかえし想起し、
脅迫的に頭に浮かんできて、離れなくなったことがあります。
思いだすたびに、胸が苦しくなり、激しい悲しみに襲われました。
【高校入試における言葉】
ずいぶん前、『高校入試』というドラマを見ていたのですが、
その中で、「お前のきしょい顔を見ると、吐き気がするわ」みたいなセリフがありました。
あのセリフはかなり長い間、トラウマになりました。
幾度となく頭に浮かんできて、苦しくなったりしました。
【なぜなのか?】
もちろん、物語をつくる側に苦しませようという意図はないのですが、
現実、こういうことはそこら中で起こっているわけです。
なぜなのか。僕の経験から考えたのですが、
自分の経験と重なった影響だろう、と思います。
昔飼っていたインコが事故で亡くなった経験がありましたし、
中学のときイジメられていたときは毎日のように「きしょい」と言われていました。
おそらく、物語それだけでは心的外傷にはなりにくいですが、
その人の関連する記憶と結びついたとき、心的外傷的な影響を与えます。
【エンタメ小説を書くとき】
だからといって、表現の幅を狭めていくのはもったいない、という気がします。
物語上、どうしてもショッキングなシーンが避けられないケースは多いでしょう。
【ショッキングなシーンとは?】
血で血を洗うようなシーンとか、狂人に襲われるシーンなどを、
そういうのをショッキングなシーンと呼んでいるわけではありません。
上記した通り、物語の受け手が過去に受けたトラウマと関連するシーンなどが、ショッキングなシーンです。
ですから、すべての受け手に心的外傷を与えない、というのは無理です。
それぞれ、経験が違うのですから。
【いかなる配慮が必要か】
ストレートに描かない、とか、できるだけ短くする、など。
あるいは、エピソードを変更する、など。
いろいろありますが、いちばん重要なのは、
多くの人に共通するトラウマは描かないほうがいい、ということです。
それだけ、多くの人に心的外傷を与える可能性が高まりますので。
【とはいえ、覚悟するしかない】
とはいえ、自分が傷ついてきたように、
自分が書いた作品も、必ず、誰かを傷つけます。
これはもはや、そのことを自覚し、覚悟するしかないかもしれません。
配慮を考えるより、覚悟を決めることのほうが必要なのかもです。
【難しい問題】
読者個人の問題かとも思えますが、
防げるのだったら防ぎたいし。エンタメ小説を書いているわけですから。
とはいえ、結局、書きたいものを書こうとする欲求に抗うのはかなり難しい。
ともかく、すごく難しい問題でした。