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節分が大晦日、立春が正月とされる由縁

明日は節分です。
節分は1年に4回あり(四立の前日)、そのうちの1つが明日の節分です。

4回の節分の中でも、正月(二十四節気における)の前日であるため、明日の節分は大晦日にあたり、重要視されてきました。

明後日は立春で正月(1月)の1日目。
立春正月は二十四節気の正月で、中国などで祝われる旧正月とは異なります。

立春は二十四節気の正月のことで2021年は2月3日です。
旧正月は太陰太陽暦の正月のことで2021年は2月12日です。

どういうこと?と思い、調べたことをこの記事でご紹介していきます。
二十四節気、正月、立春、節分については本記事で、
旧正月、太陰太陽暦については来週の記事で紹介します。

二十四節気とは?

古代中国では昼夜の長短のピークとなる二至(夏至、冬至)と、昼夜の長さがほぼ同じとなる二分(春分、秋分)を各季節の分かれ目とし、これらの中間に四立(立春、立夏、立秋、立冬)を置いて、八節としました。

四立は各季節の始まりの日で、その前日を節分(季節を分ける日)と言います。
なので、節分は1年に4回あるわけですが、旧正月に近く、正月の初日でもある立秋の前日であることから、江戸時代以降は節分といえば、立春の前日のこととなったとされています。

1年を24の節に分けたのが二十四節気です。

二至(冬至・夏至)を設定して1年を2分割
二分(春分・秋分)を追加して1年を4分割
二至二分を3分割して、1年を12分割(月を建てて12の月に干支に当てはめた)
各月の間に中気を加えて、1年を24分割(二十四節気)
中気のうち、二至二分の中間に当たる四立(立春、立夏、立秋、立冬)を季節の始まりと設定。
という流れです。

中気は二至二分を含む以下の12の節気があります。
雨水・春分・穀雨
小満・夏至・大暑
処暑・秋分・霜降
小雪・冬至・大寒

二十四節気を四季で並べると以下のようになります。
春:立春・雨水・啓蟄・春分・清明・穀雨
夏:立夏・小満・芒種・夏至・小暑・大暑
秋:立秋・処暑・白露・秋分・寒露・霜降
冬:立冬・小雪・大雪・冬至・小寒・大寒

なぜ、立春が正月なのか?

12か月に十二支を配当したものを月建と呼びます。
冬の真ん中である冬至を含む月を建子の月としました。

そこで、12ヶ月は3ヶ月ごとに春夏秋冬で分けられ、以下のようになります。かっこ内は現在の暦で該当する月を記載しています。
春:建寅(2月) ・建卯(3月) ・建辰(4月)
夏:建巳(5月) ・建午(6月) ・建未(7月)
秋:建申(8月) ・建酉(9月) ・建戌(10月)
冬:建亥(11月)・建子(12月)・建丑(1月)

中国最古の王朝「夏」では、建寅を正月(正月節)としました。
つまり、春の最初の月が正月であり、正月の初日が立春に当たります。
そして、年始を正月の初日としていましたので、立春が新年に当たり、節分が大晦日となります。

正月節は、立春から2月節(啓蟄)が始まる前日までの1ヶ月間になります。

夏の次の王朝「殷」では一月早めて、冬の最後の月「建丑」を正月としました。
殷の次の王朝「周」ではさらに一月早めて、冬至を含む「建子」を正月とします。

周の後に中国を統一した秦は年始を2ヶ月早めて「建戌」としますが、正月は夏と同じ「立春」と定めています。

秦の暦を改定した漢の武帝は、「立春正月」を年始とすると定めています。

こうして、立春が新年として定着していきます。

冬至が1年の起点で、正月が立春

二十四節気を配置する平気法では、冬至を1年の起点にしています。
干支が切り替わるのも冬至です。

ちなみに、冬至を1年の起点にすることは各地で見られ、北欧のゲルマン民族、古代ローマやペルシャで広まったミトラ教も冬至を1年の始まりとして12月25日(当時の冬至)に祝っていました。これを取り入れたのがクリスマスだと言われています。

1月14日に祝われるタミル人の豊穣祭「タミル・タイ・ポンガル」も、タミル暦のタイ月の初日(現在の1月14日)が冬至とされ、1年の始まりとして祝われていました。

天文学的に考えると、夏・殷・周の3王朝の中では、冬至を含む「建子」を正月とした周王朝が一番正しそうではあります。

周は中国を統一していた時代は長安(現・西安)に都を置いていましたが、衰退して春秋時代に入ると、東の洛陽に遷都し、東周と区別されます。

戦国時代の多くの国が夏正(夏の暦)を採用、つまり、春の最初の月を正月としています。

これは、最古の王朝である「夏」の暦を使い、周が使う暦(周正)と区別したためではないかと思います。

戦国時代で台頭して中国を統一した秦は、顓頊暦を制定して、年始を10月として、正月は立春と定めています。

顓頊暦を改暦したのが、漢の武帝。武帝は太初暦を採用して、立春正月を年始とすると定めています。

ちなみに、秦が年始と正月を分けているように、
・年の始まりとしての冬至
・暦上の正月(旧正月)
・生活や農作業の始まり(立春)
と3つを使い分けていたとも言われています。

冬至を起点にするのも、太陽が出る時間が長くなることで、春の訪れは大切だったことが分かります。

節分でなぜ豆を投げるのか?

年始の前に邪気を払う中国の風習を元にしており、「魔滅(まめ)」から豆を投げるようになり、「魔目(まめ、鬼の目)」に豆をぶつけて、邪気を追い払い、一年の無病息災を願うようになったとされています。

豆まきが始まったのは、平安時代の日本のようです。

立春大吉

立春の早朝に、曹洞宗の門に「立春大吉」の文字が貼り出されます。
左右対称で縁起がよく、厄除けになるといわれています。
これはお寺だけではなく、自宅の玄関に書いて貼り出しても良いそうです。

伊勢では「立春大吉餅」が名物とされ、立春にお餅を食べるようです。

立春大吉豆腐といい、豆腐を食べると良いとされています。

立春大吉朝搾りといい、立春の朝にしぼったお酒は縁起が良いとされています。

立春からは先の話になりますが、立春から数えて88日め。この日に摘んだお茶はよいお茶になるといわれています。

まとめ

4000年前頃の夏王朝が定められたことを起源とすることが今も残っているのはすごいことだなと思います。
豆まきでさえ、平安時代ですので、1000年ほどの歴史があるわけです。

そして、文字通り「正月」は1ヶ月間で、1月・2月・3月の1月を正月と言うため、今の暦だと昨日(1月31日)まで正月ということになりそうです。

豆まき、恵方巻き、だけではなく、翌日の立春も含めて、二日間楽しめた方がお得な気がしますので、是非何か立春らしいこともしてみてください。

参照)

私の根っこプロジェクト「二十四節気」
二十四節気(にじゅうしせっき)とは
ウィキペディア「古六暦」
こよみのページ「節切の暦」
ウィキペディア「三正」
ウィキペディア「平気法」
ウィキペディア「節分」
ウィキペディア「顓頊暦」
ウィキペディア「太初暦」
節分の歴史と由来、そして住まいのしつらえ
立春 2020年|どんな日?行事や関係のある食べ物を知ろう
ウィキペディア「干支」

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