見出し画像

旅とパソコン

「趣味は?」って聞かれたら?

旅をすることと、書き物をすることだろうか。

お酒は好きだが、飲むのが好きなだけでお酒には全然詳しくない。
本を読むのも好きなのだが、そこまで時間を取って読書をしていない(実際に読んでいない、溜め込んでいる本も結構ある)。
料理は趣味という範疇からは外れてしまっている気がしている。

3月、4月は、東京→カンボジア→東京→大阪→札幌とかなりの距離を移動した。
まあ、大阪には自宅とアトリエがあるし、東京にもアトリエがあるので厳密に言えば旅には入らないかもしれない。

旅や出張の時に欠かせない相棒がパソコンだ。

先日カンボジアに旅行に行った時にも小脇にパソコンを抱えていた。
村のお母さんに料理を習いに行くために1時間ほど土埃の道をゆくトゥクトゥクに揺られながらも、パソコンはがっしりと抱えていた。
カンボジアでは暑さのためか携帯の調子が悪かったが、撮った写真のデータをその都度パソコンに移せたので安心だった。

完全に仕事を頭から追い出すこともできない上に、対応しなければならないこともちょこちょこある。
そして、旅先の少しニッチな時間にも書き物ができると嬉しい。

アイフォンのメモ機能も使うけど、長い文章を書いたり、文章をチェックしたりするにはやはりパソコンを使うのが便利だと思っている。

その昔、東南アジアのリゾート地でパソコンを持ち込んで仕事をしている日本人に対して、現地の人が「Crazy」と諦めたように一言呟いたとか。
そんな都市伝説的な話があるくらい、本来は楽しむべき旅行先にパソコンを持ち込むことは、かなり無粋な行為と認知されているのかもしれない。
「パソコン」というのは、家や仕事先を出てもまだ仕事ややるべきタスクから逃げれない、可哀想で無粋な人の象徴とされてきたようにも思える。

ただ、わたしの場合は、パソコンという相棒があるから安心して旅に出られるという側面もあると思っている。

どうせ仕事は頭から離れない。
それなら、「旅先でも時間を作って、レシピを書いたり検討をしたらいいじゃん。まあ、いいか!」という自由度があったほうが気が楽だ。
そもそもとしていろんな事に一区切りをつけて旅先に向かうという、几帳面な人間でもない。

それに、パソコンが側にあれば、その都度心に残ったことを書き留めておくことができる。

「ノートとペンを使えばいいじゃん。」という意見にも理解はできる。
ただ、ペンとノートをそのまま忘れてくる自信しかない。

過去には、日記的な何とかノートの書き方という本や、夢を叶える手帳術なるものを読んでは、3日ほどで毎回挫折してきた。
書きかけのノートは知らない間にメモ帳となって消耗されて何処かに消えていった。
42年間その繰り返しのループの中で生きている。

そんなズボラで、モノをよくなくす人間にとっては、旅先や出張先にパソコンを持ち込んで、気が向いた時に、調べ物をしたりパチパチとキーボードを叩くことが仕事術の最適解なのではないかと思っている。

パソコンを現地のカフェやホテルのライブラリーに持ち込んで作業をするのも結構気に入っている。
暮らすように旅をするというように気取るつもりもないけど、作業の合間に店員さんとちょっとおしゃべりできたりするのも楽しいからね。

先ほど、ペンとノートをなくす話を書いたが、ちなみに最近パソコンも山手線の電車の吊り戸棚に置き忘れてなくした。
周りの人には大分怒られたし、自分でも結構びっくりした。
そしてまあ不便だった。

それからは、流石に反省してパソコンが入る大きなトートバッグを持ち歩くようにしている。

新しく買ってもらった相棒パソコンとどんどん色んな場所に行きたいと思う。

※この文章は北海道から大阪に向かう飛行機の中で書きました。