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curry menu archive 34 夕焼けはみずみずしく秋の寂しさを温めるカレー

こんばんは。
今日は2022年9月のカレー事情聴取というイベントに出店した際のカレーをご紹介したいと思いますがその前に。

スパイスカレーizonのインスタアカウント(ヨシフジ君本人)やこのnote(友達の狢)で情報を発信している理由について改めてご説明しておきたいと思います。

スパイスカレーizonが駆け出しだった頃、僕は客としてちょくちょく間借り先を訪れて、「美味しいけど変なカレーだなあ」と思いながらカレーを食べていました。
わざわざ変なカレーにする必要はないんじゃないかと思った僕は「なんで変なカレーにしてんの?」(かなり失礼な質問)と単刀直入に聞いてみたところ、

「他国の文化をカレーに落とし込んで発信することで偏見や差別をなくしたい」
「味は勿論、見た目の美しさや発想も含めた芸術性も追求していきたい」
「自分の頭で新しいカレーを考えてオリジナリティを発揮しなければならない」
「だから試作せずに即興の調理を重視している」

「とにかく数をこなしてカレーや副菜の幅を広げていかなければならない」

などカレー屋らしからぬ意外過ぎる答えが返ってきました。
カレーにアートの世界があることを知らなかった僕はかなりの衝撃を受けました。

アートに関して興味のない方のために僕なりに補足しておくと、アートとは「疎外された何かを作品にしてそれに触れた人の感情を揺り動かすこと」だと思ってます。
疎外について簡単に説明すると、「仕事をしているけど、つまらない」これが一種の疎外です。
ヒトの本来の労働は生きることと同義ですので、「畑を耕して作物を収穫して共同体のみんなでそれを食べる」とか「狩猟でゲットした獲物を共同体のみんなに分け与える」ということは楽しいことなはずですが、そこに資本が入ると労働の成果やモノは会社が持っていきますから、自分たちのルールで勝手に分配したり自分のものにすることはできません。
働いている人は成果を持っていかれてつまらなくなる(疎外される)という訳です。
今から150年くらい前のマルクスという人が提唱した概念をざっと説明しましたが、労働と資本の関係にかかわらず、現代では本来の目的や喜びがなんだったのかわからなくなってしまって空虚になっていること(疎外されていること)が山のようにあって、普段我々はそれに気づかずに暮らしています。
(もしそれに全部気づくようなことがあったら日常は送れないはずです)

そのわからなくなったりズレてしまっている無自覚な疎外を、掘り起こしたり切り取ったりして表現するのがアーティストの役割で、アーティストの作ったアート(絵画なり音楽なりカレーなり)に誰かが触れて、何かを感じ取った時、その人の感情が動くわけです。
(それはgood!bad!だけではなく、言葉にできないざわざわだったりもするのですが、言葉にできない心の動きがあるからアートは有意義だと思います)
感情が動かなければその人にとってそれはアートではないということになります。
(ブルーハーツを聴いて、あっ、と何かに気づく人もいれば、普通のこと言ってるなあと考えるだけの人もいるでしょう。それです)

僕はヨシフジ君のカレーを、「美味いor不味い」という2択でジャッジしようとして、それ以外の要素を「なんか変」という風に理解していました。
僕の食事からは、美的感覚や芸術的なたのしみは疎外されて、ただ味覚を満足させて栄養を摂るだけの行為に成り下がっていたことになります。
質問したからたまたま気づいて驚いた訳ですが、何も質問しなかったら、「変なおいしいカレー」という面白くも何ともない感想を抱き続けていたかもしれません。
(そもそも食事とアートが直結しているということは、料理人ならずとも割と自明なことのようです。自身の美意識の低さを恥じるばかりですが、何をもって美しいのか、とかはいまだによくわかっていません)

ヨシフジ君は「わかる人にだけわかればいい」というスタンスでしたので、当時のお客さんにもそのあたりの主旨は説明しないままに営業していました。
僕は食におけるアートには頓珍漢ですが、音楽や文学などのアートは好きですので、カレーの芸術性を発信しないのはもったいないと思ったのと、飲食業界に限らずどの業界でも安易なアイデアの剽窃は必ず起こりますので、izonのオリジナリティ―を宣言する意味でも「頭の中をできるだけリアルタイムに発信した方がいいよ」と助言したのが情報発信をはじめたきっかけです。

インスタでは着想の経緯や調理法などをヨシフジ君本人がなるべく毎日投稿するようになりました。
さっき太字で書いた部分は勿論継続していて、応援してくれるお客さんも着実に増えてきているようで、ヨシフジ君も喜んでいます。

noteは「初めてizonを訪れる人の取説的な感じになれば」ということで僕が書き始めて、今日が34本目の記事になります。

僕自身も、「ただただカレーの内訳を説明するだけ」に堕してしまっていたところがありますので、再度主旨に立ち戻って気を引き締めて書いていきたいと思います。

よろしくお願いします。

(注1:アートとは疎外を~~のくだりは僕なりのアート解釈を書いています。一般論ではないと思いますのでご注意ください)
(注2:izonには絵をプレゼントしてくれる小学生のお客さんもいるので、なるべくわかりやすい文章を心掛けていましたが、ややこしいことを書いてしまってごめんね)



さて前置きが長くなってしまいましたが、2022年9月の仮営業期間に「カレー事情聴取」というイベントに出店しました。
事前にインスタライブでカレーのお題を募集して、その言葉に沿ってカレーを作るという無茶な企画でした。
客席からお題を3つもらって即興で噺をやる「ざこば・鶴瓶らくごのご」という番組が昔ありましたが、それのカレー版ではないかと思われます。
(落語もカレーも無茶だ)

こんばんわ。
昨日は、インスタライブでのたくさんのコメントありがとうございました!
みなさんからもらった言葉、秋、みずみずしい、栗、柿、さみしさ、夕焼け、こちらの言葉で明日仕込みしたいと思います。
しかし、今日買い出しいきましたが、まだ柿がでてきていなかったので柿から梨でいきます。
お楽しみに〜。

@izon_curryのインスタグラムより

それを受けてカレーの名前を決めなければならない、ということで、僕に相談がありました。

『夕焼けはみずみずしく秋の寂しさを温めるカレー』

でいこうかということになり、イベント当日僕も準備を手伝いましたが、他店の方々はしっかりとしたポップなどを用意されている中で、ルーズリーフにボールペンで「夕焼けは~~」とか書くのが恥ずかしくなり、名無しでの提供になりました。
(もっと意味不明だ)


夕焼けはみずみずしく秋の寂しさを温めるカレー

秋→ドンコ出汁、梨、栗。
みずみずしい→梨
栗→栗きんとん
さみしさ→夏が終わる事をさみしさに置き換え、夏をサルサで表現し、梨を足す事で秋の入口に。梨サルサ
夕焼け→パプリカで赤色に色付けたつくね、その中に栗きんとん。栗きんとん入りスパイスつくね。
といったカレーに仕上がりました。
お題頂きありがとうございました。 
また、どこかで新しいお題のカレーをやりたいと思いので、またご協力お願い致します。

@izon_curryのインスタグラムより

カレーを解説した文章ですがまるで暗号です。
メニューは、栗きんとんスパイスつくね包み、梨サルサ、ドンコ出汁鶏白湯スープカレー、あさりとディルの炊き込みご飯、だったように記憶しています。
はじめての栗きんとんでは栗の皮をむいてマッシュして丸めるのに膨大な時間がかかってしまい、それをつくねで包んで蒸し焼きにすることを決めた時点でヨシフジ君の寝る時間は無くなってしまったようです。

油を一切使わないスープカレーにも初挑戦していました。
どんこ(干しシイタケ)と鶏白湯のダブルスープです。

言葉からカレーを作るのは初めての取り組みでしたが、インスタライブでお題を提案して採用された方や、そのあたりの経緯を聞いた上で実際にカレーを食べた方は、何かしらの心の動きがあったのではないかと思います。

~秋の夕日に照る山紅葉 濃いも薄いも数ある中に~

は童謡紅葉の歌い出しですが、日本の秋の夕暮れのさみしさが一発勝負のカレーに表現できたのではないでしょうか。

長くなってしまいました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
それではまたまた。

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