そちらの住み心地はどうですか


私は何もかも中途半端で、何者にもなれない
興味だけは無数の対象に持てるけれど、実際に手をつけると途中で諦めてしまうのだ
成功者には必ずある、突き抜けた情熱や執念の類がないのだ
パスタを茹でた時、そのいくつかは芯が残って、そのいくつかは過剰に水を吸収してへにゃへにゃのぶよぶよになるものだが、成功者というのは前者のように何か芯が通っているもので、私は後者のように、中途半端に無駄に色んな無駄なものを吸収して、それでいて、何も信念がないから最後までやり通せないのだ

私は、物理が好きで、色んな本を読んだり色んな授業を受けてみたけれど、研究者になることはできなかった
大学院に入って、本物の研究者を前にして、実際の研究の片鱗を知って、怖気づいたのだ
そして博士課程への進学を諦め、民間企業への就職を選択した
私は、物書きに憧れて、こうやって見よう見まねでいくつかものを書いたけれど、それを商業化に至るまで昇華させることはできなかった
その癖、プロの物書きと中途半端に交流を経たせいで、自分は何もしてないのに勝手に自分が偉い物書きにでもなったかのように錯覚して、こうやって文章を書いてみたけれど、どれも駄文だった
私にはファンタジーを書く発想力も、文学を書く文章力もなかったのだ
私は何もかも中途半端なのだが、そのくせ、物書きだったり研究者だったり、好奇心で色んな人に近づいて、自分も偉くなったような、自分も何かを習得したような気になって、そして何者でもない人間が出来上がってしまった

深夜4時、カフェイン飲料の空き缶と空になったコンビニ弁当の残骸が散乱する部屋で私は神妙な面持ちでパソコンを睨みつけていた
私はその日、ポーカーをしていた
借りれるところから上限の借り入れをし、クレジットカードからも全額キャッシングし、そのお金でポーカーをしていた
少なくとも1000万円は負けていた
だから、今度こそ負けるわけにはいかない
私は参加費15万円のトーナメントに出ていた
これで優勝すれば余裕て負けを取り返せる
逆に負ければ何も残らない
私は血走った目で画面を睨みつけていた
そして、ポーカーでかなり強い部類に入るakでオールインした
すると、相手はコール
出てきたのは同じくakだった
勝率は50%、まあ殆どは引き分けである
そう思って見ていると、最初の3枚のうち2枚がクラブだった
自分のakにクラブはない
相手のakには1枚だけクラブがある
この後出る2枚が2枚ともクラブだったら負け、敗退だがそんな確率は微々たるものである
4枚目のカード、クラブ
動悸がする
そもそもトランプのカードをめくって一喜一憂しているのが馬鹿らしい
eスポーツのように高度なテクニックが要求されるわけでもなければ、スポーツのように身体能力が要求されるわけでもない
ただ52枚あるトランプのカード、ババ抜きや大富豪で使うようなカードをめくって、それに何十、何百万円を賭けるなんて、なんと馬鹿らしいのだろう
どんなにGTO(ゲーム理論)、ナッシュ均衡を考慮してようが、コンボ数などを計算してようが、つまりどんなに論理的にプレイしていても、たかがトランプのカード1枚で、何%、何十%で負けるゲームに大金を賭けるなんて、どんなにそれらしい理由づけしたところで馬鹿らしいと言わざるを得ない
5枚目のカードはクラブだった
つまり、私は1%の確率で負ける戦いで、1%を引かれて、負けたのだ
私は画面の前でしばらく硬直し、それから笑った
マウスを投げつけたり台パンする気力もなかった
なぜなら、これで正真正銘、1000万円の負けが確定したからだ
私はそのまま精神安定剤を貪るように飲んで、深い眠りへとついた

私は何度も自殺を仄めかしてきた
ネット、リアル問わず色んな友人、親に迷惑をかけてきた
ある時は通報され、ある時は家にまで押しかけられた
警察が家に来たこともある
一ヶ月以上、snsを更新せず、ラインの返信もしないこともあった
典型的メンヘラの私だが、本当に自殺を成功させたことはない
そんな自分に対してある疑問が頭をもたげた
"本気で死ぬ気があるのか"
ということである
死ぬ前に、友人に、snsあるいはラインなどを通じて死ぬことを伝える癖がある
そして止められて死ねずにダラダラと生き続ける、ということを何度繰り返したかわからない
しかし、私は人生で2度、本気で死のうとしたことがある
一度は睡眠薬のodである
処方されて飲まずに取っておいた大量の睡眠薬を全て飲んだのだ
そしてその時、好意を持っていた人に気持ちの悪いラインを送り、眠りについた
目が覚めると、私の送った気持ちの悪いラインは同じ大学の人に晒され、笑いものにされていた
結局居心地が悪くなり彼らとは距離を置くことになったのだが、人は本気で死のうと思うとあんな気持ち悪いポエムをかけるのだな、と妙に感心した物である
また、処方箋とはいえ現在の日本では、自殺願望を持つ者に処方され得る睡眠薬では、odごときでは死ねないだなと身に染みて知った
もう1つの本気で死のうとしたのはロープを持って森に行った時である
私は家から森までをただ歩いた
スマホも開かず、ただ自分の人生を振り返り、死と向き合いながら森へと向かった
しかし、途中から、こんなところで死ぬことが無性に悔しくなりボロボロ泣いていた
そして、森について、悔しさのあまりしばらく呆然とし、椅子を忘れたことに気づき、友人に死ぬ旨を伝え、いつものように止められて、帰路へとついた
これだけ書くと、まるで死ぬ気がなかったかのように思われるかもしれないが、少なくともあの家から森への道は私の人生で最も死に近づいた瞬間だと断言できる
仮に家を出た直後に暴走トラックを見かけたら迷わず飛び込んでいただろう
次こそは必ず成し遂げられるよう、折り畳み椅子をAmazonで注文した

この文章を読んで、その構成や意図に気づいた人間もいるかもしれない
けれど、気づいたとしても、どうか心の奥底にしまってほしい
私は正直言って、ギャンブルでの借金や自殺未遂、そしてそれらを大学の人間に知られ嘲笑されている事実と、まだ折り合いはつけられていない
けれど、いつか精神疾患も嫌な過去も借金も全て受け入れて、前向きに生きられる日が来ることを望む
その前に自殺してしまう可能性の方が高い気もするが…
その時は、私のことを反面教師にしてほしい
どんなに人生詰んでいると感じたとしてもここまで落ちぶれている人間もそうそういないだろう
どうしようない、辛い状況にいる人は良ければ文字に起こしてネットの海に放してほしい
どんなに文章が下手でも、ありのまま辛い現状を書けば、勝手にプロレタリア文学とかなんとか評価されたり、或いは辛い状況にある読者を救うことができるかもしれない
それに、こうやって文字に起こすことで書いてる本人も案外救われるものだ

天に還った神に捧ぐ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?