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3つのチェーンストアで学んだこと:美容編

独立前に店舗開発として、美容・外食・小売(輸入食材)の3つのチェーンストアで働き学んだことを纏めてみる。今回は美容編。

美容の会社で学んだこと

最初は本当にびっくりした。何しろ、前職の内装会社では「日本一ヘルメットの似合う女!」っていうキャッチフレーズで日本全国の現場に足を運び、男性社員95%の男性社会、営業職初の女性採用で当然のように毎月200時間の残業をこなし、力の限り働いていた。転職した先は別世界だった。

当時、現場のエステシャンが600名、120店舗(研究所/技術部/教育部含む)で働いていた。本部を含めて女性社員95%の女性社会。その女性社会を5%の本部の男性が管理する仕組み、一方で現場の仕組み作りは在職した3社の中でも絶妙に上手かった。

振り返って、この会社でエステサロンの店舗開発としての学びの他に、人材育成に関し2つの学びがあった。

社員評価の仕組
チェーンストアには多い仕組だが、売上を達成するとインセンティブが付いた。一方で、売上達成だけでは無く、人材育成に対するインセンティブも付けていたことだ。
店舗事業は、毎月の予算達成が第一KPIである。その中で、予算を達成できない店長も一定数存在する。一般的には、予算達成ができない店長は肩身の狭い思いをして店長会などを終了、本部スタッフから発破を掛けられプレッシャーに苦しむ。しかし、当月売上を達成できなくても、人材育成に上手い店長へのインセンティブは自己肯定感や自己有用感を上げる効果がある。エステティシャンという技術者育成が生命線である事業として上手く仕組化していた。

モチベーション・マネジメント
もうひとつが人材育成の要にモチベーションを置いていたこと。     当時「意欲付け」と社内では呼ばれていた。内発的動機付けを高めることにより、前向きに業務に取組むための仕組化が行われていた。今では当たり前だと思われるが、この会社への入社時、リンクアンドモチーベーション社はまだ存在せず(2000年創業)、在職中にLM社の創業者である小笹氏の書籍を書店で見かけ、「そうか、自社の仕組みはモチベーション・マネジメントというのか」と感動し、初版本を購入したくらいだ。

その他にも「動画」による社員教育など当時としては先駆的なナレッジ・マネジメントを行っていた。カウンセリングの話術は人によって違い、商品の説明を分かりやすく、端的に行う技術など動画で教えていた。

当時、30万人商圏に1店舗ほどの割合で出店していたため、店舗出店はスクラップアンドビルで年間10店舗ほどで有ったため、既存店管理を行い店舗備品の調達や現場からの発注の仕組をつくるなど兼務していた。半年に1度程度120店舗を巡回して店長・スタッフの話を聞きながら、店舗の状況を確認していました。その際に、店長スタッフへの教育に、モチベーション・マネジメントやナレッジ・マネジメントがよく機能していて驚きました。

 独立した際に「当時なぜ先駆的な人材育成ができていたのか?」と振り返ったことがあるが、創業者が大学卒業後に就職した一部上場会社で人事部に在籍していたため、採用・教育・育成についての考察・知見が深かったのだと思う。

美容(エステ)業界の市場規模と概要

矢野経済研究所の発表によれば、2018年度のエステ業界の市場規模は3,587億円。2000年当時の市場規模が5000億円だったので、18年間で約29%市場規模が縮小したことになる。                     縮小の原因として、価格破壊の脱毛サロンの登場、エステに行きたい20代世代~がスマホの普及やネイルなどの支出より可処分所得が減ったこと。医療業界の美容業務が拡大していることなどがある。
➡歯医者さんが自由診療で口角エステを行うなどの美容サービスも生まれている。

多店舗事業者のエステサロンは基本的に反響営業である。顧客ターゲットに向け広告を打ち続けその反響客で売上を作るため、PL上の広告率が高い事業である。出店先は路面ビルの空中階、SCならば前面交通量の低い上層階の奥のエリアなどが選定される。これは、固定費である家賃を抑えると共に地方ではエステに通っていることを隠したい風潮や、エステサロンに通うという目的性が高いサービスのため、出店場所により売上が影響されないためである。

美容の会社で考えたキャリアデザイン

当時キャリアデザインという言葉は存在せず、企業が社員に向けてセルフ・キャリアドッグを行うなど想像すら出来ない時代だった。        内装会社の社員時代、業界自体が圧倒的な男性社会の中で同業他社の先輩女性に会っても妙に肩で風を切ってる感や男性化している女性が多く、小さな違和感を感じていた。道を切り開いて行くためにはそんなスタイルが必要だった世代と違い自分の世代は何ができるか、ぼんやり考えていた。

男女雇用機会均等法は施行されていても、企業内の運用が出来ていない時代に就職した世代の女性に共通する悩みかも知れない。          働き続けたい、その延長線上にある「ありたい自分の姿」を探していた。

そして私は、毎月200時間を超える残業生活が4年目を迎えた頃、自律神経失調症により働き続けることが困難な状況になっていた。そのため、結納と同時に退職し魅力的に見えた専業主婦生活に入った。しかし1年後、体調回復と共に絶望的な暇を持て余して美容の会社に就職し、逞しく働く現場のエステティシャン達に出会った。

働き続けた先にある「ありたい自分の姿」を自分で作る、と決めて転職した。

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スパイカ株式会社は店舗事業構築支援を行う会社です。

代表田上の会社員時代の経験と現在スパイカ株式会社の業務について、
『店舗開発のお仕事』としてマガジンに纏めています。


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