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目からビーム!135 作家の「巨きい罪の巨塊」

八重山日報2023年3月24日付。このセンシブルな話題を本土の僕によく書かせてくれたと思う。いつも思いますが、八重山日報の仲新城編集長には感謝します。


撃論ムック『沖縄とアイヌの真実』(2009年)より。

▲の左ページに注目してほしい。掲載の写真は、赤松大尉率いる陸軍海上挺進隊第三戦隊の皆本義博さんからお預かりしたものである。
中段の写真は、渡嘉敷島で行われた「第三戦隊戦友会村民懇親会」の様子。最後列一番右の人物が皆本氏。飲めや歌えやの懇親会の写真も多数あった。元隊員の渡嘉敷訪問と追悼は平成16年(2004年)まで続いた。
一番上の写真は、渡嘉敷島の集団自決の現場を訪れ手を合わせる旧第三戦闘隊隊員と現地の人々。
右上は、元隊員が離島する際の見送りの様子。
一番下は、慰霊碑「白玉之塔」。集団自決の犠牲者だけでなく、戦死した軍人も慰霊している。

現在は古書のみで入手可。但馬による皆本氏のインタビューも収録しています。

 僕はこれらの写真を見せられた瞬間、「軍命令はなかったもの」と確信した。むろん、戦後、島民が元軍人を歓待しようが、元軍人が犠牲者を慰霊しようが、「軍命令はなかった」という物的証拠にはならない。では、「軍命令があった」とする証拠はあるのか、といえば、これもないのである。軍命令があったとするならば、誰がそれを命令し、誰がそれを聞いたのか、これを証言する人は実はいないのだ。ただ、「命令があったらしい」という伝聞だけが残るのみである。証拠がない以上、法理上は無罪、無実とするのが妥当ではないか。そもそも軍に集団自決を強いる理由も根拠もない。
しかし、その「あったらしい」の伝聞をもとに、「あったに違いない」、「あったはずだ」にすり替えて書かれたのが、『沖縄ノート』なのである。
曲学阿世とは、世論に阿(おもね)り、学を曲げることである。大江氏はいうまでもなく、戦後民主主義なるものの旗振り役の左翼作家であり、また『沖縄ノート』執筆時は、沖縄=被害者、日本軍=悪という風潮がオピニオン界を支配していたのも事実だろう。筆の勢いということもある。しかし、年月が過ぎ、過去に書いたものを冷静に振り返る余裕を得たとき、誤りと認めるべきところは誤りと認める勇気もまた「作家の良心」ではないか。

▲井上和彦レポート・渡嘉敷島民、集団自決の真実を語る。

▲スティーヴン・スピルバーグ総指揮のWW2のドキュメント映画『Price For Peace』(2002年)で沖縄戦を語る皆本義博氏(54・59あたりから)。皆本氏をインタビューしたのは、歴史家/作家のスティーブン E. アンブローズ氏。

慶良間諸島に展開した海上挺進隊はこのマルレに乗って敵に体当たりする海上特攻隊である。死ぬために沖縄に来た部隊が果たして、島民に自決を迫るだろうか。

井上和彦レポート・皆本義博閣下を偲ぶ

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