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「新天地」に見る韓国キリスト教の危険性~神の名の下の侵略はもう始まっている(前編)

追い詰められる「新天地」の行き着くところ

 朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長が、李萬煕(イ・マンヒ)教祖率いる「新天地イエス教会」の幹部を殺人罪等で告発したという。確かに、信者に武漢肺炎感染者を出しながらも礼拝や集会を続け、かつそれらの事実を隠蔽し結果、韓国全土に感染を拡大させてしまったことの責任は重い。しかし、だからといって、いきなり殺人罪というのも極端な話で、このあたりは実に韓国的だといえるかもしれない。おそらく、文政権は4月の総選挙に向けて、感染拡大の責任をひとり「新天地」に押し付けるためのマスコミ工作を仕掛けていると思われる。
当初、李教祖は、教団での武漢ウイルス蔓延を「新天地の急成長を見た悪魔が、これを阻止しようとして起こした仕業」と信者に説明していたが、3月1日に行われた記者会見では、一転、土下座で世間様に詫びてみせた。「イエスの再誕」を自称する彼にとって、これ以上ない屈辱のパフォーマンスだったに違いない。彼の胸のうちにはさぞや社会に対する呪詛の念が渦巻いていることだろう。

自称・キリストの再降臨=李萬煕教祖の土下座パフォーマンス。この腕時計がまたゴシップの種となった。

追い詰められる「新天地」の行き着くところ

気になるのは、新天地がその教団名からもわかるように「ヨハネの黙示録」を独自解釈した終末論を基本とするカルトであることである。李教祖は「最後の審判の日に14万4千人を天国に連れていく」と豪語している。黙示録によれば、世界の終末ののち、イエスが再降臨し、死者を蘇らせ最後の審判を行い、天国に行く者と地獄行きになる者を峻別するのだという。天国に送られた者は永遠の生命が約束されると黙示録は説く。したがって、李教祖の言葉を額面通りに取れば、「イエスの再誕である自分が、最後の審判を行い、信徒の中でもとりわけ信仰心の篤い14万4千人を選んで天国に送る」という意味にもとれる。
 これを単なる一カルト教祖の誇大妄想あるいは駄ボラと一笑に付すことは筆者にはできない。「天国につれていく」ということは、言葉を替えれば、信者の生殺与奪を李教祖が握っているというのと同義である。政権とマスコミの新天地叩きがこれ以上進んでいけば、彼らはますます「悪魔」、つまり外的要因による教団弾圧を意識するようになるだろう。
 追い詰められたカルトが先鋭的になるケースは歴史的に珍しいものではない。
その攻撃性が外に向かった代表的な例がオウム真理教の地下鉄サリン・テロである。オウムが教団の武装化、ひいてはテロに走った背景には、1990年(平成2年)の総選挙での、麻原彰晃教祖以下25人の候補者全員の落選がある。これを「国家権力による陰謀」として、武力による宗教クー・デターを目指したのだ。オウムもまた、ハルマゲドンなど黙示録の独自解釈で知られていた。
一方、攻撃性が内部へ向かうとき、それは教団の集団自死へと向かう。こちらのケースでまず思い浮かぶのは1978年(昭和53年)のガイアナで起こった人民寺院事件である。人民寺院はジム・ジョーンズ教祖率いるキリスト教カルトで、当時、教団は南米ガイアナにジョーンズタウンと称する巨大なコミューンを作って共同生活を行っていた。ジョーンズタウン内部で信者の監禁や暴力が行われているという報告を受け、レオ・ライアン米上院議員が視察を行ったが、事件はライアン議員が数人の教団離脱者と共に帰国の途に就こうとしたときに起こった。飛行場に待ち伏せしていた信者によって議員は銃殺され、これを狼煙にしてジョーンズタウンでは、ジョーンズ教祖の命令による集団自死が始まるのである。青酸カリをあおって死んだ信者は918人。うち30余人は子供だったという。

人民寺院の集団自死事件。老いも若きも、白人も黒人も、教祖の一言で青酸カリをあおいた。

 カルト信者の集団自死といえば、日本でも1937年(昭和12年)、東京蒲田に本拠を置く日蓮宗系新興宗教「日蓮会殉教衆青年党」(通称・死なう団)の信者5人が、首相官邸や国会前で「死のう、死のう」と叫んで割腹(いずれも未遂)する事件が起こっている。世にいう「死なう団事件」である。同じ年、日本統治下の朝鮮京城では、信者314人が集団殺害される白白教事件があった。これも一種の自死現象とみていいだろう。
 信仰はときにタナトスと紙一重である。殉教は天国に生まれ変わる一番の近道だからだ。

白白教事件は、その特異性からか、韓国では何度か映画化されている。

 李萬煕教祖と新天地に、騒乱やテロ、武力によるクー・デターを引き起こすほどの力はない。いきおい、破壊衝動は内側に向かうだろう。李教祖とて88歳。老い先を考えれば、追い詰められた末に信者を道連れに選ぶということも充分考えられる。彼が一言、「最後の審判が今訪れた」といえば、それが合図となるはずだ。14万人といえば、世界の武漢ウィルス全感染者数(死者数ではない)とほぼ同数である。

カルトが政治に入り込む国

 韓国のTVニュースを見ると、李萬煕教祖が土下座パフォーマンスの際、朴槿恵前大統領のサイン入りの金の腕時計をはめていたことをことさら大ごとのように報じていたが、これもまた、新天地と朴前政権を印象的に結びつけ、朴シンパの保守層のイメージダウンを狙った文政権の選挙戦略と見えなくもない。韓国では大統領が、サインの入った腕時計を来賓や有力者に贈ることはよくあることなのだ。事実、文在寅大統領のサイン入り腕時計というものもあって、一時期、中古取引サイトでは100万ウォン(約10万円)の買取り価格がついていたという。何事も権威とコネがモノをいう韓国社会、大統領の腕時計はそれだけのご威光があるということなのだろう。もちろん、時計を贈る大統領の方にも大きな意味がある。宗教団体といえば、大きな票田だ。為政者とすれば、その教祖と仲よくすることに損はあるまい。
 韓国はカルト天国といっていい。無数のカルトが存在し、政財界にもさまざまな形で食い込んでいる。そもそも大統領付きの風水師がいて政策に助言を与えているというお国柄である。金大中がかつて公約に掲げ、廬武鉉の治政時に再び浮上した遷都計画、この背後にも遷都地選びを巡って複数の風水師の利権争いがあったという。また、金泳三が大統領時代、「日帝がわが民族の気脈を奪うために打ち込んだ」と称して、朝鮮総督府が測量のために打ち込んだ鉄杭をことごとく掘り返させたことも記憶に新しい。悪名高き閔妃は、巫堂(ムーダン)と呼ばれる土俗のシャーマンに入れ上げ、巫堂の占いに湯水のごとく国費を費やし、あまつさえ政(まつりごと)まで任せていたというから、オカルトと政治の距離が近いというのは、李朝時代からの伝統なのだろう。

神降ろし(クッ)中の巫堂(ムーダン)。巫堂のほとんどが女性だが、まれに男性巫堂もいる。巫堂の儀式には供物としてたびたび豚が捧げられる。

朴槿恵大統領弾劾のきっかけとなったのは、彼女が「親友」と呼ぶ、怪しげな女祈祷師・崔順実(チェ・スンシル)の政治への介入と数々の横領だった。その順実の父親が、崔太敏(チェ・テミン)という牧師で、彼は宗教団体「大韓救国奉仕団」の教祖でもあり、朴槿恵の最初の「男」だったということはよく知られている。崔は、実母を凶弾で失ったばかりで悲嘆にくれる槿恵に言葉巧みに近づき洗脳、男女の関係を結ぶのだ。かくて大統領令嬢(当時)の憶えめでたい崔教祖は青瓦台にも足を踏み入れるようになり、「韓国のラスプーチン」の綽名を頂戴する。後年、救国奉仕団はセマウム奉仕団と名を変えるが、その名誉総裁についたのが朴槿恵だった。

崔太敏のそばにはいつもよりそうように若き日の朴槿恵の姿があった。

 この二人の関係に苦り切っていたのは他ならぬ朴正煕大統領である。崔が詐欺まがいの霊感商法に手を染めていることは彼の耳にも入っていたし、何より父である自分よりも2歳も年長(5歳年長とする資料もある)である崔に、娘が入れ込んでいるというのは穏やかな話でない。朴大統領に命じられ、崔太敏の行状を逐一報告する任務にあたっていたのは、のちに朴大統領の暗殺犯として名を残すKCIA長官の金崔奎(キム・ジェギュ)である。この動きを知った槿恵は、父に金崔奎の讒言を吹き込むようになる。朴父娘から煙たがれるようになった金崔奎が、もはや出世の道もこれまでと自暴自棄になったことが、大統領暗殺の引き金を引く遠因のひとつだったともいわれている。

金載圭(左・現場検証時の写真)と崔太敏。韓国SBSも朴正煕暗殺との因果関係について報道した。

 朴槿恵といえば、2014年のセウォル号沈没事故の際、空白の7時間、男性と密会していたというスキャンダルでも大いに騒がられたが、その密会の相手と言われた元秘書室長の鄭潤会(チョン・ユンフェ)氏は、崔太敏の元娘婿、つまり崔順実の元夫だった。
となれば、いよいよもってわからないのが朴槿恵と崔順実との間の不思議な「友情」である。通常の女性の感覚として、実父、そして(離婚したとはいえ)夫と男女の関係にあった相手をはたして「親友」と呼ぶことになんのためらいもないものだろうか。これは私見だが、おそらくは朴槿恵は崔順実との間にも特別な関係、ありていにいえば同性愛的なつながりがあったと考えるとすんなりくるのだ。これはまったくの余談だが。

キリスト教とシャーマニズム

 韓国のカルト教といえば、日本人には、おなじみの統一教会、教祖の女性信者に対する性犯罪で一躍有名になった摂理(キリスト教福音宣教会)、小牧者訓練会(国際福音キリスト教会)あたりがまず思い浮かぶ。これに冒頭に挙げた新天地も加わったところだろう。
 いずれもキリスト教(プロテスタント)系のカルトである。韓国は人口の40%をキリスト教徒が占める、アジア有数の「準キリスト教国」といえる。そのうち、天道教(カトリック)とプロテスタント諸派の比率は1・2であり、圧倒的にプロテスタント有利である。
 ひどく俗な譬えで申し訳ないが、カトリックの教会がヴァチカンの〇〇支店であるなら、プロテスタントのそれは個人商店に近い。特に韓国キリスト教にその傾向が強いのだ。ということは、教会の運営はひとえに牧師(教祖)の個性に左右されることになり、いきおいカルト化に向かう要素をもっているということである。あえていうが、統一教会や摂理が特別なのではなく、すべての韓国系キリスト教はカルト的要素を含んでいると見るべきだ。
 キリスト教と儒教が融合したものが韓国キリスト教だという人がいるが、私の見解は少し違う。キリスト教と土俗のシャーマニズムが融合したのが韓国キリスト教の正体なのだ。
 もともと朝鮮は巫堂(ムーダン)を中心としたシャーマン信仰が根強い土地である。巫堂は神降ろしや死者の口寄せを生業にする女性のことで(数は少ないが男性巫堂もいる)、本来は賤業ではあるが、広く民衆の生活に溶け込み、ときに閔妃のような権力者の庇護を受け権勢を誇る者もいたという話は先に触れたとおりである。
巫堂の衰退期は過去二度あった。一度目は日韓併合による急激な近代の流入、二度目は戦後、朴正煕大統領によって提唱された迷信撲滅運動による。朴大統領は、地域社会の発展を阻害する元凶を、巫覡を含む迷信因習の類であるとしたのだ。この運動によって巫堂は前時代の遺物として社会から排斥されていったが、それと入れ替わるように隆盛し始めたのがプロテスタント諸派の新宗教だった。より正確にいえば、キリスト教が巫堂に取って代わったということである。

 たとえば、巫堂の重要な仕事に「クッ」と呼ばれる憑依によるお告げと鬼神封じの儀式がある。韓国キリスト教でもまったく同じで、病気、貧困、家庭不和などあらゆる現世の不幸を鬼神(悪魔)の仕業と考え、牧師はこれを駆除する悪魔祓い師の役目を担っている。もともと、プロテスタントにはペンテコステ派という、トランス状態による異言を重要視する一派もあり、その意味では韓国巫覡とも相性がよかったのかもしれない。
悪魔祓いの儀式では、牧師と信者が一対一で行うものから、数十人、ときには数百人相手の集団トランスまでさまざまだ。韓流牧師の女性信者への性犯罪のニュースがしばしば日本にも届くが、その犯行の多くが、悪魔祓いの最中に起きていることも記しておこう。

 ちなみに、朴正煕は敬虔な仏教徒であり、かつ民主化運動(つまり反朴政権運動)を扇動しているのがキリスト教諸団体だと看破して、終生キリスト教に対しては冷淡だった。その朴正煕の迷信撲滅運動が結果、宿敵であるキリスト教と巫覡を結びつけ活性化させたということになる。挙句には愛娘が怪牧師にかどわかされてしまうのだから、何重もの皮肉といえるだろう。
1981年、ソウル市で登録されたキリスト教会は4429を数え、喫茶店・薬局の数の数を超えたという。朴正煕の暗殺の2年後というのは実に暗示的である。(後編に続く)

(動画)典型的な韓国キリスト教の集団トランスの様子。


初出「WILL」2020年5月号。掲載時のタイトル「ウイルス蔓延の元凶 『新天地イエス教会』が日本人を狙う」

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