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目からビーム!6 ウルトラマンと桜 金城哲夫をおもほゆ

 この号が出るころは、東京は桜が満開のはずである。僕の住む東京世田谷の祖師谷大蔵は桜の名所がいくつもある。とりわけ東宝撮影所を通り多摩川にそそぐ仙川はこの時分、桜のアーチに囲われ水面までもがピンクに染めぬいて絶景だ。
 祖師谷はまたウルトラマンの街としても知られている。駅前にはウルトラマンの像が立ち(建ちでなく、立ち、と書きたい)、商店街のいたるところにウルトラマンや怪獣にまつわるモニュメントや意匠を見ることができる。実は、祖師ヶ谷大蔵はかつての円谷プロの所在地。つまりウルトラマンの生まれ故郷なのである。
 銀色のスーパーヒーローを創造するにあたって円谷プロには若い才能が終結した。そのうち特筆するべき一人を挙げるなら、やはり金城哲夫だろう。『ウルトラマン』『ウルトラセブン』の基本設定を作った彼こそが、平成の今に続くウルトラ・シリーズの生みの親、ウルトラの父なのであった。
 僕は初代『ウルトラマン』(66年)リアルタイム世代だが、当時は幼稚園児。むろん、金城の名前も彼が沖縄の人であることもずいぶん後年になって知ることになる。『セブン』に出てくる頭でっかちの宇宙人・チブル星人は沖縄方言の「ちぶる(頭)」から金城が命名したなどというウンチクは、酒席での小ネタとして何度となく使わせてもらったものだ。
 玉川大学文学部在学中(当時、沖縄は「アメリカ」だったから留学という扱いだった)から円谷特技プロダクションに出入りし、そのまま同プロ文芸部に入社したという金城。僕の住む祖師ヶ谷大蔵は金城哲夫が青春を過ごした街でもある。
 とはいえ、半世紀の時の流れは、この街から円谷プロを去らせ、金城たちが脚本作りのために定宿としていた旅館も今はなく、彼を偲ぶ風景はもうほとんど残っていない。
もしかしたら、仙川べりの桜化粧だけが50年前とまったくかわらない祖師谷の春なのだろうか。金城哲夫もこうやって仙川の橋に立ちながら、今僕が見ている同じ桜を見ていたかもしれない、そんなふうに思いながら二本目の缶ビールを飲み干した。

初出・八重山日報

(追記)古谷敏さんに聞いたところ、実は『ウルトラマン』撮影時の仙川は完全にどぶ川で、生活水がそのまま垂れ流されて異臭を放っていたそうだ。
自治体と地元の人の努力の結果か、今では鯉が泳ぎ、白鷺や鵜も戻り、カワセミを見ることもあるほどきれいになりました。実はあの『七人の侍』にもちらりと登場する由緒ある?川なんですね。


今年も撮影所に桜の季節がやってきた。ゴジラ、オスカー受賞おめでとう。



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