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#あの選択をしたから 今がある

人生の分岐点

今思えば分岐点だったというだけで当時は気づかなかったことも・・・

noteでこの企画を見つける前、偶然にもこれまでの自分の人生を振り返っていた。
あの時が分岐点だったなというポイントがいくつもある。
というか今がまさに分岐点

  • •高校受験に失敗。

  • •大学受験に失敗し浪人生活へ。

  • •教員採用試験に(なぜか)合格。

  • •2年目の冬。仕事がつらくなり、約1年間のお休み。

  • •環境を変えて仕事に復帰。

  • •3年後、やはり教師は続けられないと退職。

  • •退職から2か月後、人手不足のため復帰してくれと頼まれ、また教師になる。

  • •任期満了と共に再退職し、人生初の派遣社員になる。

  • •不動産の営業職から採用をもらうも、営業のイメージにビビッて辞退。

  • •公務員試験に合格した。←今ココ

きっとみんなそれぞれ壮大な人生を送っていると思うが、私のこれまではいかがだろうか。

この中から、あの時、#あの選択をしたから、今があるんだなという点を3つご紹介する。

共通していたのは、人生の準備期間だったということだ。

3つの大きな選択

浪人生活を選択した

今思うと人生で一番勉強した

この選択によって努力が結果に結びつくという経験ができた。
しかし、すべてが良かったわけでもない。
これまでの私は特に勉強が苦手と言うわけでもなく、なんとなく学校生活を送る毎日だった。
中学生から始まった定期テストは3日前から詰め込みで勉強するとそれなりの点が取れることがわかり、乗り越えてきた。
しかし、この勉強方法では範囲の広い学力テストや受験勉強には対応できず、高校受験は失敗した。
滑り止めの私立に進学したが、ここでもまあまあな生活を送っていたと思う。
普段の授業は、理系科目は苦手だったが、それ以外は定期テストレベルなら問題ない。
高校三年間は学級委員にずっと選ばれ続けていたからそれなりに評価されていた(または押し付けられていた)のかもしれない。
ちなみに勉強方法は中学校時代と変わらない。だから大学受験にも失敗した。
ここで私は悩んだ。親の影響から教師になりたいと中学生の時から考えていたのだが、今合格してる大学はブランド力(ネームバリュー)と言う点で行きたくないと感じていた。将来、〇〇大学出身ですと言いたくなかった。だから親に頼んで浪人させてもらうことになった。
ここでめちゃくちゃ勉強した。先にも後にもあの時が一番勉強したと思う。
しかし、気合を入れていたのは英語のみ。相変わらず理系科目は全然ダメだった。
ただ、英語はめちゃくちゃ伸びた。
センター試験では自己最高の192点(記憶があいまいで、もしからした182点だったかもしれない)。国立大学入試も英語のおかげで突破できた。
この時も第一志望合格とはならなかったが、現役時代では入れなかった大学に入ることができた。
この経験は、今振り返ると努力が結果に結びついた良い経験になったと思う。
現役時代たいして勉強していない私を浪人させてくれた親にはとても感謝している。

1年間休職した

辛かったが結果的に休んでよかった

社会人になると長期の休みはなかなか取れない。
休職により13か月ほど休んだ。病気の治療期間ではあったが、こんなに長く仕事から離れることはこの先ないので良い経験だったと思う。
ないと思っていた夏休みがもう一回来たら嬉しいだろう。
4年間の大学生活を終え、私は無事に教師になることができた。
現役で何かに合格するというのは初めての経験だったのでとても嬉しかった。
しかし、配属された中学校での出会いが悪かった。
同じ部活動を担当するベテラン教員と反りが合わなかった。
1年目は右も左もわからないのでただひたすらに言うことを聞いた。
授業にかける時間よりも圧倒的に部活にかける時間が長った。
何ども怒られ、泣き、励まされ、最初の1年を乗り越えた。
2年目になり、今状況はおかしいと感じるようになった。
管理職にも相談しながら部活動顧問を外してもらうよう働きかけた。
中学校には部活指導ができないやつは仕事ができないやつと本気で考えている人が一定数いる。
私は部活から少し距離を置いたが、ベテラン教員から無視されるようになった。
結果、私の心は持たなかった。あれはパワハラだったと私は思う。
1年間のお休み中、私が取り組んだのは筋トレと旅行だ。
休んでいたのであまり大きな声では言えないが、楽しい時間を過ごすことができた。
筋トレすることで体が変わっていくのは自身にもつながったし、旅先で様々な体験をしたのも楽しかった。人生初の一人旅もした。
寝る時間も十分に取れず、土日も部活に捧げていた私は時間がたくさんあることが嬉しかったし、これからは仕事だけではない生活がしたいと強く思った。
この後、小学校に異動して復帰するが、なるべく早く帰れるように意識して仕事をした。
周りに迷惑をかけてはいけないから仕事の仕方も工夫した。
あの時休んだことは、私の仕事観を大きく変えたと思う。

教師を辞めた

辞めた今でも子供は好きだし、教育に関わっていたい

多くの人は次の仕事を決めてから辞めるだろうが私は辞めてから次の仕事を考えた。
今思えば無謀にも程がある。当時は何とかなるだろうと思っていたし、結果的になんとかなったが苦しかった。
辞めた理由はいくつかある。
中学校の部活に嫌気がさしたこと。
小学校に異動しても学校の嫌な部分はあまり変わらなかったこと。
変化が遅いこと。
自分が子どもを持つことを真剣に考え始まったこと。
ブラックと言われる環境にいる必要はないと思ったこと。
他の仕事もやってみたかったこと。
 
辞めたことに“今は”後悔はない。
でも、それは次が決まったからだ。
公務員試験に合格するまでは不安と緊張で眠れない日々を過ごしたし、生活を維持するために本気で取り組んだ。
もうあんな気持ちや状態になりたくないので、次辞めるときはきちんと次を見つけてから辞めようと思う。辞めないという選択肢はおそらくない。
 
教師を退職後、ICT支援員として派遣写真として勤務しているので教育には携わっている。
学校の中で過ごしてきた私が、今は外側から学校に関わっている。
教育にはずっと関心があるので今後も仕事で関わっていきたいと思っているが、両側を知ることができて良かったなと思っている。
 
学校は独特な空間だ。
まず多くの職場に子どもはいないし、あんなに長時間誰に向かって話したり、誰かの話を聞いたりすることもない。それが毎日行われている。
教師は公務員だが残業代は出ない。勤務時間の管理も適性に行われていない。子供に何かあれば個人が責められる。プールの水が出しっぱなしだと個人が賠償させられる。
 
そこで得られるものはやりがい(達成感)と感謝だ。
まあ、これが何にも代えられないんだけどね。
卒業してからの子供たちの成長も楽しみだし、ふとした時にそういえばあいつは元気にしているのかと思い出せるのもこの仕事の良いところだと思う。
 
転職することが選択肢の1つとして認められる時代に生まれてよかったと思う。
一つの仕事を長く続けるのももちろん素晴らしいが、今の自分には合っていない。
公務員→派遣→公務員の変化も面白い。
まだまだ長い人生なので、後悔のないように生活してきたい。

まとめ

次は自分の子どもを持つ時が分岐点かも

ここまで振り返って思うのは、この3つの期間はすべて準備のための時間だったということだ。
大学入試のために1年間勉強に専念した。
今後の仕事について考えるために1年間休養して準備した。
家族との生活を考えて、次の仕事を決めるために準備した。
 
最後は働きながらだから専念したとは違うが、転職活動のために時間を確保した。
どれも周りの助けや理解がないと実現できないことだったので、家族や同僚、友人に恵まれていたと言えそうだ。
 
この先、1年休みが取れるとしたら育休だろう。
もしかしたら、その期間中に子どもとのかかわりを通してまた考えが変わるかもしれない。
 
その時はその時で考えて行動したい。

最後までお付き合いくださりありがとうございました。

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