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「無意識」を探ってゆく②


(写真:二子玉川 stan coffee)

だいぶまた間が空いたけれど、今日は前回の続きを綴っていこうと思う。

前回の①にも書いたように、わたしは今、人生のお休みをしている。
毎日のんびりして、自分の心の中を見つめたり、何もしなかったり。

できるだけ、自然に毎日を過ごしたいと思っている。
楽しい時は楽しい、嬉しい時は嬉しい。
悲しい時は泣いて、怒りが湧いたら吐き出す。

感情は操作しない方がいいと思う。
今はそれが一番の気持ち。

毎日心の赴くまま過ごして、自分の中の色んな感情を受け止めることができようになってきた。

これから、その中で見つけた感情について少しずつ書いていこうと思う。



まず1つ目は「自分の中の強迫観念」について。



わたしは新卒から3年間、一度転職を経験し、2つの会社で働いてきた。
そして思えば、働いている時に、いつも不自然に理由もなく焦る感情に取り憑かれてきた。

「徹底的に」「〜ねばならない」「〜だったら絶対ダメ」というような自分を追い込みやすい考え方があって、いつも耐えず落ち着かず不安で焦っていた。行動の原動力が「恐怖と焦り」だった。

毎日内面の葛藤だけでものすごいエネルギーを消耗してきた気がする。
その結果として、毎月必ず、燃え尽きるような感じで体調を崩していた。


幼少期から大学時代まで色々あって、わたしは、
「何か社会的成功をしたり、優秀でないと、わたしには生きる価値がない」という歪んだ信念を抱えて生きてきた。
ありのままの自分はこの世に存在していいと思えなかった。

頭では偏った考えだとわかるものの、
わたしは「わたし」であるために、いつも頑張る以外に方法が分からなかった。頑張ることで自分を作り上げようとしてきた。

今思えば「頑張ること」の理由は自分の喜びのためじゃなく、
「居場所を得るため」「人に認められるため」という、他人軸な目的だったと思う。

何かがうまくいった時だけ生きた心地がした。
喜びはない、楽しくもない。もはやそれが何なのか分からない。
でも少しだけ生きてていいと思えた。
そのくらい内面で苦しみを抱えていた。心はずっと空虚だった。

本当は全てにおいて自信がなかった。
だけれど、それを見ないふりした。

心の中には大きな葛藤があった。
「本当はもう何もやりたくない」
「もうダメだ、もう疲れた」
「本当はそこまでやれるほど自信も気力もない」

でも、その内面の無力さを認めたら、自分を支えていく方法がなくなる、
と怖かった。
そうするしか心の中の拠り所がつくれないと思い込んでいたから。

頑張らないと「自分」という存在が確認できなかった。
頑張ることで居場所を確立できると思ってきた。
居場所を作れないと思い込んでいた。
その拠り所すら本当なのか分からなかった。

アイデンティティの確立がままならないまま大人になった自分。
自分の輪郭を感じたくて、頑張ってきた。
そして不自然にエネルギーを消耗して力尽きた。

本心ではやりたくないことを、不安と恐怖を原動力にしてやってきているのだから当然だと今なら分かる。
人は、自分が望んでいることなら、どれだけ頑張っても燃え尽きないらしい。

燃え尽きない生き方にどうにか変えたいけれど、
その方向性も分からず。

だから今、こうして休んでいるのだと思う。

(続く)

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