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四半世紀は贅沢な孤独を

温室は環境の整った修羅だった。それに気づいたのは25の秋で、その秋も儚く散ってしまうのだと思うととても切ない。

四半世紀生き抜いた褒美として私は自分に本当に孤独をプレゼントした。6月に2年半努めた会社を辞め、これを書いてる現在(2023/09/27)まで無職としてのらりくらり生きている。一時期アルバイトをしたけど、この夏の暑さに私が勝てず1ヶ月で辞めた。

『空白期間は何をしていましたか?』

会社を辞めて真っ先に指定ゴミ袋(45L)に会社員時代に使っていたもの投げ入れた。服、ノート、文房具も1つ残らず。これは昔からの癖で、自分の人生で区切りがついたらそれまで活用していた物を手放していた。何かに触発されたでもなく、勝手に体が動く。学生時代は卒業したらそれまで使っていた教科書、レジュメ、雑貨、筆記用具(シャー芯まで)から当時の私物に至るまで可能な範囲で捨てた。学生時代には思入れや執着がないのもあるが、残りの人生に連れて行く必要があるかと考えたらほぼ不要なのだ。

さて、そんなこんなで手に入れた自由な時間にしたことだが

・新たな表現に出会う(詩画とコラージュ)
・詩のイベント(前橋ポエトリーフェスティバル)にて大勢の前で朗読
・遠くにいく(物理、精神それぞれ)
・『君たちはどう生きるか?』という命題

やっと出てきた意地とプライドを外の環境に馴染ますため、不乱に書く。現実を見たくないから、足跡を拭い錠を下ろした。なにかしてないと、塀の中の世界しか知らぬまま街に放り出された哀れな老人のように、梁にメッセージを刻んで虚空に飛び込んでしまうから。

初めて内面で蠢いていたそれを正面から見て、自分の手で歯車を回した瞬間、人生の主導権が交代した。いや、掻っ攫った。

そこから私は黙々と本を読み、コメダ密会の回数と煙草の本数が増え、ぼんやりと自身にまつわるアレコレの距離を図り直していた。
なんせ自分が抱えられるものが少ないから、優先順位はこまめに見直さないとすぐ壊してしまう。かわいいシールを買っても「使い切らなきゃいけない」という強迫が勝って愛でることなんてできないし、人間関係も環境が変われば切るしで、箱舟には一生なれない。

自分で決める事だとわからされて舌なめずりして徒花を咲かせる。代償は残酷で、これでいいのかと尋ねる相手は散って。好き勝手に生きる決意もすんなりいって。
暴発するまであと何秒?
桜の樹の下に何を埋める?

プレイリストの名は【墓標】

この時期に1年の総括として長めの文章を書くようになり今年で4回目です。去年の私はこちら。


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