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♡4 献身的な愛、質素

献身的という言葉ほど危険で甘いものはない
岡崎慎司は言う。「献身的という
褒め言葉ほど危険なものはない」

スペインのラ・リーガ・セグンダ・ディビジオンのFCカルタヘナのフォワード選手として躍進する岡崎慎司の言葉である。

ここでいう「献身的」というのはサッカーのディフェンスの動きを指す。具体的に言うと『自分の置かれている状況。(体調、感情、メンタル等に左右されず、積極的に守備をする事』らしい。

スポーツ関連の事は疎い私だが、サッカーは毎年W杯が開催されるし、朝のニュース番組の特集だったりバラエティだったり、学校でもサッカー選手ファンがいたりしたので超漠然とだが有名な選手やチームは把握している。
だけど試合を見てどういう状況で、どのポジションの人がどんな動きをしてるのか…とかは即座に判断できない。

申し訳ないけど\イマノウゴキスゴイ/が精一杯の感想だ。(サッカーファンの方がいたらごめんなさい。なので今回の記事読みにくいです)

しかし、試合直後のインタビューだったり記事を見ると「献身的に…」というワードが良く入る印象はあった。
サッカーにおいての献身的はさっきの文章になる。
ここで興味深いのは一般的に使われる「献身的」という単語と真逆の意味をしている点だ。

〘形動〙 自分の身命、利益を犠牲にするほど一心に、ある人や物事に力を尽くすようす。
[形動]自分のことを顧みず、心身ともにささげるほど他のために尽くすさま。
コトバンク

通常の方だと身を粉にして(犠牲にして)相手に尽くしたり、貢献する。一方的な印象がある。対してサッカーだと、チームのために、状況把握し、自分が何をするか考えて、チームメンバーが望むことを先読みして感じる。と言ったイメージだろうか。まるで戦う戦士だ。
それだけ見るとサッカーの方がマシに思えるが、それでも献身的というのは「危険で」「甘いもの」という認識らしい。

│恐《おそれ》るポイントは両者共通してるのが面白い。

相手の為を思って先回りしてあれこれやりすぎるとその相手がいざとなったとき自分で動けなくなってしまう、その人の判断力が鈍くなってしまう、考える力や時間のバリエーションが狭いものままになってしまうと言う点をサッカーでは恐れるのだろうか?
その点では、夫婦関係だったり教育だったり恋愛関係においても同じことが言える。

甘やかしすぎると割合は何かの責任とかの割合がつく子方尽くす方に偏ってしまってアンバランスな関係になってしまう。そして甘やかされる側が「要求を何でも叶えてくれる」と誤った方向に学習してしまえばどんどんその要求のハードルが高まり……かつての対等だった日々を殺めてしまうな悲劇的な運命になる
相手を思って献身的に尽くしていたら、気がついたら相手の首を絞めていたみたいな。

もう後に戻れない事に気がついて、慌ててそれを止めようとしても、気がついたら相手はそれが普通になって、逆に首を絞められてしまう。

要は、どんな関係でも必要以上に関係を飾り付けないで質素に日常を過ごせるってことが1番の献身なんじゃないですかね。っていう話でした。

アレルギーとか苦手な物とか、NGワードのわがままは全力で聞こうね!

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