〈読書メモ〉私の美しい庭/凪良ゆう
〈あらすじ〉
小学生の百音と統理はふたり暮らし。朝になると同じマンションに住む路有が遊びにきて、三人でご飯を食べる。
百音と統理は血が繋がっておらず、その生活を“変わっている”と言う人もいるけれど、日々楽しく過ごしている。
3人が住むマンションの屋上には小さな神社があり、断ち切りの神様が祀られている。悪癖、気鬱となる悪いご縁を断ち切ってくれるといい、“いろんなもの”が心に絡んでしまった人がやってくるがーー
〈感想〉
「多様性を認めましょう」と言う言葉に違和感を覚える。その理由は大きく分けると3つ。
1つ目は「認めてあげる」と言う上から目線に聞こえる表現。
2つ目はその「多様性の例」として挙げたものがLGBTQAー性的少数者限定的になってしまう事。
そして最後に、無意識に“多様性のテンプレート”を作り上げようとしていること。
…あっいけない。こんな言い方をしたらこの考えを提唱してくださった方への配慮が足りないね。
正直わざわざ取り上げる事なのかなぁって思う時がたまにある。確かに理解を深める点では良いけど、その広め方がいささか誇張しすぎたり「撮れ高」や「映え」を意識して盛って盛って逆にとっつきにくいものになりゃしやせんか?と冷静に突っ込んでみたり。
でもこの本を読んだら、そんな事で一喜一憂するのもアホらしくなってきた。私は私と生きてていくだけなんだから気にしない。
この本の主人公は3人いる。天真爛漫な小学5年生の百音(もね)。宮司と翻訳家、父親という3つの顔を持つ統理。統理の学生時代からの友人で気ままに移動式バーを経営する路有。これだけ読むと父子家庭のほのぼのライフを連想する人が殆どだろう。
それではもう少し説明をしよう。
百音は5歳の時に両親を事故で亡くした孤児で、統理は亡くなった百音の母親の元旦那ーしかし百音とは血が繋がっておらず、元婚約者が自分の次に愛した人間との子供である。そして路有は婚約を控えていた相手に裏切られたゲイだ。
どう?印象ガラリと変わったでしょ。
それについて私は何も意見を言わないし、大声で話題にしたりしない。だって彼らは“彼らの世界と時間”を生きているだけだし、私も私の世界征服に忙しい。
事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけだ。