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第14話:「モーニング娘。」(つんくファミリー、ハロー!プロジェクトの手法)

最終回は「モーニング娘。」(つんくファミリー)秋元グループについて語っていく(予定であったが・・・笑)。

この回も予想より長くなってしまった(汗)。

まずは「モーニング娘。」から語っていく。

「モーニング娘。」は、「ハロー!プロジェクト(ハロプロ)」に所属する日本の女性アイドルグループである。

1997年9月に『ASAYAN』(テレビ東京)のオーディション企画である「シャ乱Qロックヴォーカリストオーディション」の落選者から選抜された5人によって結成された・・・笑

インディーズのCDシングル「愛の種」を5日間で5万枚売り切る条件(「番組企画」)を達成して翌1998年1月にメジャーデビューを果たした。

(見返りは握手会のようなものでした・・・笑)

デビュー時は中澤裕子、石黒彩、安倍なつみ、飯田圭織、福田明日香の5人。

結成された当初、12~24歳という歪な年齢構成であった。

この中で圧倒的な人気を誇ったのが「なっち(安倍なつみ)」だった。

1998年1月発売のメジャーデビューシングル「モーニングコーヒー」では、
 
「モーニングコーヒーを飲もうよ~、2人で!」という決して12歳が使ってはいけない歌詞で始まった、

この生ける伝説は現在も続いている。
 
しかし、中身は全く別物である。
 
私はデビューシングルに入っていた握手会イベント(横浜開催)に参加したことがある(当時)。
 
友達と3人で行った。
 
この会場では永遠と「モーニングコーヒー」と「愛の種」が流れていた(笑)
 
待つ時間、つまり数時間聴きっぱなし。
 
開場に入る前はグッズ販売店もちらほら見かけたが、「なっち」のプロマイド写真のところだけ空になっていた。
 
さて、運営のイベントの方は上手くいったようだが、私の方は上手くいかなかった。
 
5人と握手できず、1人空振りした!(誰かは覚えていない、笑)
 
また、帰りに「朝娘。」のファンクラブ(ハロプロ会員)申し込みに引っかかった。
 
友達はイベント直後ゆえにノリノリ(興奮気味)だったので、私も無理やり入れさせられた・・・笑。
 
(おそらく)初めて会員が募集されたイベントであったから番号が少なかった。
 
100番以内に入ったかもしれない。
 
会員カードは赤いカードの表面にハロー!と黄色文字があったと記憶している。
 
まだ部屋の何処かにあるかもしれないが、今は「ウマ娘。」に関心がある。
 
という訳で、私は生まれて初めてアイドルグループの会員となったのであった。
 
「モーニング娘。」は「サマーナイトタウン」(2枚目)でもっと売れ、
 
ついに「抱いてHOLD ON ME!」(3枚目)でオリコン1位を獲得した。
 
なお、2枚目からは保田圭、矢口真里、市井紗耶香の3人が加入し、8人となっていた。
 
なんと同時期には『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』(日本テレビ)で「モーニング息子。」というパロディも行われたのだから人気の度合いがよく分かる。
 
「ねぇ、笑って!」
 
私は笑う他なかった・・・笑
 
ユーチューブ上に動画が転がっていると思う(笑)
 
企画物とはいえ、「ポケビ」、「ブラビ」が本番組で生まれているから歌唱力もある息子たち。
 
その点が無駄に笑いの質を高めた(特にキャイ~ンの天野くん)。
 
モーニング娘は7枚目からの「LOVEマシーン」、「恋のダンスサイト」、「ハッピーサマーウェディング」、「I WISH」、「恋愛レボリューション21」、「ザ☆ピ〜ス!」
 
と恐ろしい勢いで売れた。
 
4枚目のシングル「Memory 青春の光」の後に福田明日香(力強い歌唱力に定評があった最年少)が脱退し、7人となったが、
 
「LOVEマシーン」の時は後藤真希(13歳)を加えて8人。
 
その後は石黒彩も抜けて7人、ハッピーの前に石川梨華、吉澤ひとみ、辻希美、加護亜依を加えて11人となった(辻、加護は当時12歳)。
 
初の二桁メンバー。
 
その後、市井が抜けて再び10人となったが、その勢いは全く衰えなかった。
 
「恋愛レボリューション21」は中澤(姉さん)が参加したラストシングル。
 
「ザ☆ピ〜ス!」のときは、9人となった。
 
その次のシングルで高橋愛、紺野あさ美、小川麻琴、新垣里沙を加えて13人に!
 
「Mr.Moonlight 〜愛のビッグバンド〜」(13枚目)から「Do it! Now」(15枚目)までこの体制は続いた。
 
しかし、この時エース格の後藤が脱退(12人)。
 
また「ここにいるぜぇ!」(16枚目)から「AS FOR ONE DAY」(18枚目)まで続いたこの体制も保田が抜けて(11人になりかけた)。
 
「シャボン玉」(19枚目)の前に藤本美貴、亀井絵里、道重さゆみ、田中れいなが加入。
 
15人となった。
 
「愛あらばIT'S ALL RIGHT」(21枚目)でなっちが脱退(その後14人)。
 
「女子かしまし物語」(23枚目)を最後に人気の辻、加護コンビが脱退(12人に)。
 
「THE マンパワー!!!」(25枚目)で飯田(ジョンソン、当時の愛称「うたばん」による)が脱退(以降、11人に)。
 
(初期メンバーが完全に居なくなった!)
 
「大阪 恋の歌」(26枚目)で矢口真里、石川梨華がラスト参加(次から9人になりかける)
 
ものこの頃には衰退してきており、一般国民の知名度(メンバー名)も低くなった。
 
その後は8人から14人体制で現在まで続く。
 
「Swing Swing Paradise」(72枚目、12月21日発売)
 
ターニングポイントはいくつかあったが、ここではあまり多くは語らない・・・
 
特徴としては企業の成長と同じで人材投資が絶えず行われてきたところであろう。
 
「後藤真希」加入後、それは顕著になった。
 
また、年齢が歪な構成であったことがこれまでの大所帯アイドルグループと異なった。
 
さらに、「モーニング娘。」からも派生ユニットが(初期においても)たくさん生まれた。
 
「たんぽぽ」(1998年10月、石黒彩、飯田圭織、矢口真里で結成。第一期)
 
「ミニモニ。」(矢口真里、辻希美、加護亜依、ミカとともに身長150cm以下のユニット、第一期)
 
「ミニモニ。ジャンケンぴょん!」(2001年7月発売)は当時一世を風靡した。
 
誰もが知っていたと思う(世間の動きに無頓着でなければ・・・)。
 
「W(ダブルユー)」(辻希美と加護亜依の2人による女性アイドルデュオ、2004年デビュー)
 
古くはハロプロからの派生ユニット、「黄色5」、「青色7」、「あか組4」なんてのもあった。
 
「モーニング娘。」以外のメンバーも参加していた。
 
なお、この企画は2000年のこと。
 
もちろんソロ活動(安倍、後藤などの主力はグループ所属時にもソロとして活躍)もあったし、逆に藤本(ミキティ―、吉本のお笑いコンビ「品川庄司」の庄司の奥様)のようにソロからグループに入るというとんでもない事態も起きた(笑)
 
ソロとして売れていた(「モーニング娘。オーディション」落選後に売れて単独で紅白出場)のだけれども、「ハロー!プロジェクト(つんくファミリー)」なのだから仕方がない。
 
ハロプロのソロには松浦亜弥(あやや、2001年4月デビュー)がおり、当時は絶大的な人気を誇った。
 
「ごまっとう」(ハロー!プロジェクトのソロである後藤真希、松浦亜弥、藤本美貴の3人が2002年10月に結成した期間限定ユニットのこと)という非常に恣意的(作為)なグループもあった。
 
このように、「モーニング娘。」はハロプロの一員として90年代から00年代前半期を支えた(一部の熱心なファンの人ごめんなさい、個人的には今も売れていると感じている)。

ん!?

「モーニング娘。」を「ウマ娘」にして名前をカタカナ(競走馬名)に!
 
ハロプロを「UMAMUSUME PROJECT」に転換したら!
 
あら、ビックリ!!

馬の擬人化前の宝石箱や!

しかも世代がデタラメなのに看板が同じやないかーい!

「モーニング娘。」(ハロプロ所属)

(初期から12世代のダービー馬が混在。脱退、入荷し放題。)

脱退?

「ウマ娘」声優さんたち、体調管理お大事に!

声には賞味期限はないけど若さには賞味期限があるから心配なり。

今では声優雑誌も容姿と若さが問われる時代に!
 
 
追記:
 
平家みちよ、松浦亜弥、太陽とシスコムーン、ココナッツ娘。
 
なども細かく入れたかったが、この辺りで止めておく!
 
え?AKBは?坂道シリーズは?
 
申し訳ございません。
 
今回もたいへん長くなりました。
 
私は学術もやらなくてはいけません・・・
 
あー、若い時の「なっち」は可愛かったなあ・・・(遠い目、笑)
 
「推し」がばれた・・・笑
 
この際、年齢のことはもういいや・・・
 
逆にこの年齢だからこそ語れることもあるに違いないのだ。
 
次回、ついに秋元グループについて・・・

うん。
 
ちゃんと分けた方がいい気もした!

(少し編集中なり) 

参考資料: 

モーニング娘。


モーニング娘。の作品・出演一覧


(2022.12.17)


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