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野次馬とイノベーション

Disruption = Innovation なのか?

 少し前に欧州の超有名企業と超有名ソーシャル系団体がコラボしたリサーチプロジェクトから”Which industry will be disrupted next?”と書かれている資料が届いた。要は、イノベーションの専門家として「次にDisruptされる産業はどれだと思いますか?」という問いを軸にインタビューがしたいという話だ。少し懐かしい気分になったが、正直、ダサい、とも思った。

一昔前はDisruption =Innovation のように言われていたことがあった。8−9年前、まだImpact HUB Tokyoのco-founder になる前、私はDisruptionという言葉をよく使っていたが、自分の考えを表す際に使える言葉ではなくなってきてしまったため、今では使わない。私が関わる事業は、すべて新しい形のサービスや商品を創造しているが、Disruptiveではないと思っている。

Disruptionという言葉を色々なところで見かけるが、ほとんどの場合、Disruptionの定義が曖昧で表層的な意味で使われることが多い。Disruptionの包括的なBefore と Afterについて詳しく語れる人は本当に少ない。社会的、経済的、政治的、自然法則的な話をまったく無視して、単独でその新商品や新サービスが一つの市場をガラッと変えてしまった、という話は説得力がなさすぎるのではないか。

世の中はスタートアップのピッチのようにシンプルではない。一つの技術やサービスが単独で業界や仕組みを変えることは無い。どんな新しい商品やサービスにも複雑な相互依存関係がある。社会の仕組みの一部が変化をはじめると、変化が始まった箇所に隣接している産業や仕組みが反応し、フィードバックをすることで、相互に関わりを持ちながら仕組みや市場が少しずつ変化していく。この一連の動きはDisruptionではない。

Disruptionに相対する言葉は静止だと思うのだけれど、社会で静止している物など無いとした場合、どこからどこまでが意図的なDisruptionで、どこまでが自然に起きたであろう変化なのかの区別は誰にもつけられない。

冒頭の「次にDisruptされる産業はどれだと思いますか?」という問いに、私は「すべてです」と答える。ここで私が使うDisruptionの意味は「変化 - Change」に近い。

今後、AIが関係しない産業はないだろうし、消えてしまう産業もある意味Disruptionなので、それも含めるとすべての産業が常にDisruptされています、と答えるしかないからである。

Disruptorがどの時代でも消えない理由 
 

どの時代にもある一定数Disruptorは存在している。なぜ、いつまでたっても世の中をDisruptしようぜ、みたいな話が後を絶たないのだろうか?

思うに単純に、私たち人間はDisruptionを見るのが好きなのではないか。本能的に野次馬であり、無意識に、命の儚さを常に思い起こしたがる生き物であるという話が非常に関係していると思う。だからこそもし、世の中をひっくり返す様な「変わった」出来事を起こす人がいるのであれば、ぜひ見てみたいと思っている。Disruptionという単語を使う人達の多くが、Disruptしようと本気で考えているのではなく、Disruption をずっと見続けたいというのが本音なのであろう。そうして需要があれば供給がある様に、Disruption を見たい気持ちに答えようとするDisruptor たちが必然的に出てくるのである。


野次馬とイノベーション


救護活動中の野次馬を含め、野次馬だけしたいのであれば、イノベーションの邪魔を決してしてはいけない。野次馬が悪いとは言わない。時には私もその一人だし、凄いことをしている人たちを安全な距離から見ているのは気持ちいい。ただ自分もイノベーターの気になってしまったり、イノベーターのふりをしたりと、ズカズカとイノベーションの領域に入っていく行為はやめるべきだ。イノベーターは真剣勝負をしている。本当にサポートをする気がない人たちは、距離を置いた安全な所からできることをすべきだ。

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