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ゴアトランスの聖地ゴアは100%全力スポットなのさ。

リシュケシュを後にした僕は近くの街ハリドワールからムンバイ⇨ゴアへと36時間ほどの列車移動をした。
(写真を参考にすると、リシュケシュはアグラの更に北の方。)

ヒマラヤの麓リシュケシュからアラビア海の南国ゴアへは気温差がものすごく、途中から、体調を崩し、熱を出しながら、寝台列車に揺られ、やっとの思いでゴアへと辿り着いた。

ゴアと言う場所はインド唯一のポルトガル領だった州。(ゴア以外はイギリス領だった。)
宗教はヒンドゥー教とキリスト教が入り混じり、最大の特徴は80年代〜90年代にかけて、ヒッピームーブメントから始まったレイブパーティー。ゴアトランス発祥の地と知られ、毎日何処かしらで爆音のトランスパーティーが開催されるような素敵な場所さ。

ゴアに着いた始めの頃の話。

アキラ君から当時、ゴアに住んでたイズマサ君という10年以上のトラベラーの頼れる兄貴を紹介してもらい、初日にゴアのガソリンスタンドで待ち合わせたんだ。

しかし、その頃のイズマサ君は嫁さんが妊娠中にインドに2人で旅行を始め、そのままインドで出産をし、そこからの流れでヒマラヤの山でゲストハウスをやろうと計画していたら、インドの不動産屋さんに裏切られ、お金だけ払って、後は、なしのつぶて状態になり、しまいには嫁さんが愛想を尽かして、日本へ生後間もない子どもを連れて黙って帰ってしまった。。。

というのが僕と会う前日の話と聞かされた。

すごいタイミングで知り合ったんだ笑

かなり、インド人に対して疑心暗鬼になってて、当時はインド人を完全に敵対してたな。イズマサ君。

ちなみに今でもイズマサ君とは仲良くしている。最初では地元の伊豆の下田で包丁握る板前さんだ。
今度食べに行かないとな。

まぁ人のプライベートの事は置いておいて、イズマサ君の家に行くとそこにはインド人タトゥー彫り師のジェイとナイジェリアギャングのボス。サクセス。が一緒に住んでいた。
ゴアの初めての友達はこのナイジェリアギャングのサクセスかなー。ラッパーの50centみたいな感じだな。
サクセスが居てくれたおかげで僕は色々と面倒を見てもらったな。
ナイジェリア人は本当に絆を大切にするいい奴らだ。またサクセスと会いたいぜ。

着いたばかりのゴアで真っ先に思い出したのは、ゴアに着いて1週間くらいたった頃に、オールドゴアにある、かのフランシスコ・ザビエルの遺体が安置されてる大きな教会にマサ君、ジェイ、サクセスと日曜日のミサに連れてかれて、皆んなで立って賛美歌を歌ってる時に、僕はいきなり気絶したんだ。それも急に。
何故だかは分からない。
しかも、次の日の朝も、ゲストハウスのルーフバルコニーから外を眺めていたら、そこでも急に気絶したなー。
しばらくは私は誰?ここはどこ?状態だった。

誰かがジーザスのビッグレシーブだと言っていた。

こうして僕はゴアに手荒い歓迎を受け、およそ4ヵ月半におよぶ、クレイジーライフが幕をあけたのである。

ただ言えるのは、ゴアは社会からドロップアウトして、完全資本主義だった僕をリセットするにはうってつけの場所だったって事さ。

〜続く〜

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