見出し画像

自分の価値観も、まわりの価値観も、時の流れでかわっていく


わたしが人生で初めてコンプレックスというものを感じたのは、幼稚園のころだった。

眉毛が太いと友だちに言われて、子供ながらにそれをすごく気にしていた。

太眉が気に入らないわたしに、祖母が、自分のように眉が薄いとわざわざ化粧でかかなければならないし、しっかり眉があるほうがいいよ、なんて言葉をかけてくれた記憶があるけど、

当時の自分にとっては、その言葉は何の励ましにもならなくて、ただただ、まわりの友だちより太めの自分の眉毛を疎ましく思っていた。

それでもなんとか長い間我慢して、やっと、高校生になった頃から眉毛を整えるようになった。そうしたからといって、自分の芋臭さを完全に払拭できたわけではなかったが、眉毛を整えることは、多少わたしに自信を与えてくれた気がする。

その後、大学生の頃には、ざわちんのメイクが流行ったりして、眉毛で結構印象が変わると、いろいろ真似してやってみたこともあった。困り眉とか、涙袋メイクとあわせてしてみた記憶ある。

でも、そこからどうゆう流れだったかはっきりと覚えていないのだけど、時代の流れなのか、わたしの眉毛は徐々にまた太さを取り戻していった。

もう、ここ最近は、自分は眉毛にあんまり手を加えなくなった。化粧するときには、自眉を、眉マスカラ1本でちゃちゃっと整えつつブラウン系の色をのせて完成。今はそれで満足。

いろいろやってみた結果、この、ほとんどそのままの状態の太さ・かたちの眉が、自分の顔の他のパーツとのバランスをとるのに丁度いいのではないかという考えに至ったという感じだ。

一周回ってきて、アラサーになって、自分の中の価値観的なものが以前より変わってそう思うようになったということもあるだろうし、それだけでなく、今の流行のおかげでそう感じられるようになった部分もあると思う。そもそも、わたしが幼稚園生だった90年代後半って、流行は細眉。バブルの頃の子供だったら眉毛で悩むこともなかったかもしれない。

そう考えると、流行とか一般的な価値観も、やっぱり変遷があるんだよな、と。だから、一時的にそこからはみ出ていようと、あんまり気にすることないし、ていうか、もう今は多様性の時代だし。それよりも、自分の価値観を確立して、自信を持つことが大切なのだろう。コンプレックスとか、思う必要ないよね。


と、自分の眉毛からちょっと話が広がりすぎた。そのままでいいと言いつつも、最近よく聞く眉毛サロンに実は興味があるので、機会があれば行ってみたいと思っていたりする。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?