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29歳、癌になった 〜甲状腺癌の体験談〜


29歳のわたし、癌になった。がーん。

冗談ではなくて、本当の話。

とはいえ、先に言っておくと、自分の場合は手術で完治したため、癌といっても大したものではない。
だけど、おこがましくも人生について考えるきっかけとなったので
あのときのことを忘れないように、noteに残しておこうと思う。
自分の身に起こったこと、そのとき感じたこと、病気のことから多少脱線した内容も含めて、いろいろ書いておく。
もしも、興味のある方がいたら、読んでみてください。


癌に"なった"のは、正確にはいつのことなのかわからない。
首元の腫れを自覚して受診したのは、癌という診断がつくより1年半ほど前。
甲状腺の良性腫瘍だろうと言われ、腫瘍の大きさ的には手術適応だが、急がなくてもよいと言う主治医。
急に手術なんていわれても覚悟がつかず、何より仕事の忙しさを言い訳に、わたしはそれを1年以上放置してしまった。(数ヶ月に1度は診察を受けていたが)
だけど、良性と言う割にはどんどん大きくなってくる首元の膨らみ。

最初に病院にかかってから1年3ヶ月程経ったあるとき、美容院に髪を切りに行った。セットしてもらい、新しい髪型にウキウキしながら店を後にし、近くのショッピングセンターのトイレに入った。髪を確認しようと鏡をのぞいたのに、真っ先に目がいったのは明らかにポコっと腫れている首元だった。それまでの気分の高揚感は一気になくなり、どうしようという不安でいっぱいになった。

ちょうど同じ時期に主治医が交代となり、再検査を受けたところ、当初の検査結果と様子が違うと。その時点では、悪性であることも否定できないということだった。

仕事も、休みをとるなら今だという状況だった。
夏季休暇を利用して入院し、手術を受けることにした。

木曜日に入院して、翌日に甲状腺を半分切除する手術をうけ、そのあと3日ゆっくりさせてもらって火曜日の朝に退院という日程。
入院も手術も初めてだったが、手術に対しての不安はもうなくて、早く取ってしまいたいという気持ちが大きかった。

手術の日、わたしはまな板の上の鯉となり、3時間程で手術は無事に終わった。目が覚めると、首元の膨らみがなくなったかわりに、メスの跡ができていた。
事前の説明から想像していたより大きい傷跡でショックだったけど、自分が手術を先延ばしにした代償だと無理やり納得した。
(あとで聞いたところによると、腫瘍自体の大きさが直径5cm程だったとのこと。そりゃあ取り出すのにそれなりの切開が必要になるよね。。)

不思議なことに、首に大きな痛々しい傷ができているというのに、痛みはほとんど感じなかった。
ただ、起き上がったり、ごはんを飲み込むのがびっくりするくらい大変だった。声のボリュームを調節するのもなんだか難しかった。
普通の健康の尊さを改めて感じた。

入院中は看護師さんの優しさが本当に身にしみ、とても心穏やかな数日間を過ごすことができた。
おかげで術後の経過は順調で、手術の翌々日に体についていたいろいろな管が抜け、シャワー浴が解禁され、予定通り術後4日目の朝に退院となった。

でも一人暮らしの家に帰ると、いろんな不安が押し寄せた。
首がつっぱるような違和感や飲み込みづらさも気になるし、何より、手術で取った腫瘍が良性だったのか悪性だったのか病理診断の結果が気になった。病理診断は結果が出るまでに2週間程かかる。

そんな複雑な思いを抱えながらも、わたしは退院翌日から仕事に復帰した。
ちなみに、入院中には、看護師さんから、2週間くらい休みとった?と聞かれたので、退院翌日から仕事に行くと答えたところ、驚かれ、心配してくれたのだが、わたしの同僚たちは全く容赦なかった。復帰初日から、後輩の代行業務に入ったり、休みの間に増えていた自分の仕事を処理しなければならず、初日から残業だった。なんだか身体よりも心がつらかった。

そうして、余計にいろんな思いがわたしの胸をざわざわさせた。

退院して仕事復帰した週の土曜日、たまたま、自分が所属するとあるコミュニティにて、その日の夜の飲み会に誘われた。こちらが病み上がりであることは知らずに声をかけてくれたのだけど、とてもありがたかった。本当は家でゆっくり養生するべきだったのかもしれないが、ひとりでいてもくよくよといろんなことを考えるだけなので、せっかくなので参加させてもらった。飲み会の間は、あっという間に時間が過ぎ、飲み込みづらさもつっぱり感も全然気にならなかった。
人とのつながりって本当に大事だと実感した。
あのとき一緒にいてくれた人たちには本当に感謝。


話が病気のことから少し脱線してしまったので、戻る。

わたしは、その次の水曜日の朝、診断を聞きに行った。
癌ということだった。
甲状腺の濾胞癌という種類の癌らしい。
癌といっても、予後の良い癌で、手術のとき一緒に取った近くのリンパに転移があったものの、年齢を考慮するとステージⅠとのこと。
あっさりとした告知だった。
先生の話を聞いている間、わたしは案外冷静で、特に何の感情もわかなかった。

他に転移などないか、悪いものが全部取り切れてるのか気になったが、どうやら治療は先日の手術で終わりのようだった。次は2ヶ月後に傷の確認と転移・再発がないかの検査をすると言われその日の診察は終わった。

癌かー、と、
診察の後に仕事に行ったけどとりあえず午前中はほとんど上の空状態だった。ちなみにその日は、数日後にひかえた高校生向けのがん予防に関する講義の資料を仕上げる日であった。皮肉にも。(ちなみにその数日後には、説得力ないな〜と内心思いながら高校生にがん予防の生活習慣について講釈垂れた。)

家に帰っていろいろ調べた。
先生も言っていた通り、幸いにも、甲状腺濾胞癌というのはおとなしい癌で、予後も比較的よいらしい。

それでも、それならよかった、ちゃんちゃん、とはなれず、やっぱりいろんなことを考えた。
主には将来のこと。
もしもこれが致命的な病気だったらどうだっただろう。いつかやろうと思ってまだやってないこと、いっぱいある。
後悔のないように生きたいと思った。
そして、自分の人生においていちばん大事なのは自分自身なんだと、そんな当たり前のことにやっと気づいた。これからはもう少し自分を大切にしよう。そう思った。

考えてみれば、わたしはまわりを気にして自分を抑えることが多かったと思う。
もうちょっと自由に生きていいのかな。

そのときのわたしは仕事が忙しすぎて自分のことをちゃんと考えられなくなっていたけど、そもそもわたしは仕事をするために生きているわけじゃないと気づいた。
そして、自分のことを大切にできなくなる職場には見切りをつけて、一度少し立ち止まって考えようと、退職することを決めた。(といってもこれを書いてる今、まだ同じ職場で働いている。今年度末に退職予定。)

自由に生きたいけど、できれば人に迷惑をかけたくないし、自分勝手にはなりたくないという思いもある。
でも、それらが紙一重になっていることもあって、そのときはさじ加減が難しい。あんまり自分勝手だと、自分で自分を嫌いになりそうで、結局折れてしまうこともある。
自分で納得できるようにちゃんと考えることが大事なのかな。

それからもう一つ、病気をきっかけに、自分の考えが変わったと思うことがある。それは、お金の使い方だ。
わたしはもともと割と倹約家で、ボーナスが出ても、何か買うこともなく基本貯金にまわすタイプだった。
でも、「今」を大切に生きるために、今を彩るのに必要な物、つまり今欲しいものを買うことは悪いことではないと思うようになった。
新しい服を買ったり(その年の冬、コート2着にセーターやワンピースなど服を結構新調した。冬服って値段が張るから例年は買うのを躊躇しがちだったけど、全く罪悪感なく、むしろポジティブにファッションを楽しめた。)、久しぶりに友人と旅行に行ったり、気持ちよくお金を使えるようになった。
自分で一生懸命稼いだお金だから、自分の幸せのために、計画的に使っていこうと思う。


「癌」という病名がついてしまったことにより、諦めざるをえなくなったこともあったのだけど、わたしの場合は、それ以上に得たことも大きかったと思う。それまで知らなかったことをいろいろと知ることもできた。
今、手術から10ヶ月ほど経過したところでこの記事を書いている。
首元にはまだ手術の跡が残っていて、首の違和感を感じることもときどきある。
膝が痛くて整形外科に行ったとき、甲状腺癌は骨に転移することもあるからねと先生に脅かされて、ヒヤッとしたこともあった。(でもそのときの痛みの原因は骨じゃなくて神経の問題だった。)
それでも、今のわたしは心身ともにいたって健康だ。
変わりきれていないところもあるけど、前よりも少しは今の自分を大切にしながら、前向きに、これからやりたいことについて考えている。一度きりしかない人生だから、やりたいことできるだけやってみようと思っている。
30歳、新たなステージが始まった。


美談のように締めくくって、不快に思われるかたもいるかもしれないけれど、これがわたしの実体験です。
最後まで読んでくださったかた、お付き合いいたたきありがとうございます。





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