見出し画像

ある動画をボーっと視聴して見えてきた「信奉の対象」「インフルエンサー」との距離感の保ち方

数年前、今は亡き樹木希林さんの達観した物の見方をありがたがる風潮は、確かにあった。

そんなムーブメントは意に介さず、本人は生前「私の話で救われる人がいるって? それは依存症というものよ、あなた。自分で考えてよ」と語っていたという。
 
しかし、彼女の思いとは裏腹に「生き方・考え方の手本を示す“伝道師”」の吸引力が衰えることはない。
 
以前、日本では信じる神がいない人の割合が調査対象国の中で2番目に高い、というニュースがあった。しかし、ひとたびインターネット空間にもぐれば、一部のコミュニティで「教祖化」「偶像化」”されたい人“と”したい人“の共依存の関係がそこかしこに見られる。
 
そんなコミュニティ内では、ボーダレスな宗教用語が飛び交う。
 
「前世でどんな功徳を積んだらそうなれるのか」
「神回」
「預言者のような考察」
「女神が降臨」
「愛の伝道師」
「カリスマ性がすごい」
「マジ天使!」

これらの言葉が向かう先は、アイドルやサロン主催者、動画配信者、天才教授、スポーツ選手、2~3次元の偶像など多岐にわたるが、性格までひっくるめて無条件に全人格を「崇める」「讃える」と言うレベルまでハマるケースは少なくない。
 
もしかしたら、神の存在を感じにくい国だからこそ、ある程度距離感のある存在やものの考え方にのめりこみやすいのかもしれない、という仮説もたてられる。

■信奉の対象の俗物性をあぶりだす動画 

そんなことをぼんやりと考えていたとき、家族が見ていたロバート秋山の『クリエイターズファイル』が目に飛び込んできた。ボーっと視聴していたら、先述したような「信奉の対象たち」に冷や水をぶっかけるような動画だなぁと感じた。
 
特徴をデフォルメし、パロディ化する視点に触れていると、どんな分野の「教祖」にも「俗人的な一面」があるのでないか、とさえ思えてくる。
 
絶賛されている“あの人”は、理想が投影された虚像でもある。
 
虚像は、怒りや孤独、不安の中に巧みに入り込んでくる。一方、本人が意図したわけではないのに勝手にまつりあげられて、神輿に乗ってはるか遠くに行ってしまう虚像も見受けられる。
 
誰かの知見に全面的に寄りかかったり、誰かの存在に「全面的な救済」を求めるようになると、それを失ったり裏切られたりした時のダメージははかりしれない。冒頭の樹木希林さんの言葉のように「自分で考えてよ」というのは、相手のため、自分のためでもある。
 
だから、もし何かにのめりこみすぎて「ちょっとやばい」と思い始めたら『クリエーターズファイル』をボーッと見てみると、救済はしてくれないけれど、もしかしたら新しい視点は開けるかもしれない。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?