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TBSラジオで号泣していたアナウンサーに阿久悠の「茶色の小びん」を読んで欲しい

 週末の昼、台所でTBSラジオを試聴していたら、甲子園で優勝した高校OBの局アナウンサーが泣きながら語る声が耳に入ってきた。
 
野球部出身の彼は、母校の甲子園優勝についてこれまでの人生で一番感動したと語るが、一方で世間のごく少数の反応が許せなかったようで、感動と誇りと怒りがごちゃまぜになった激情をもてあましている様子。
 
誰もが心の中に琴線を持っている。しかし、誰かが琴線を粗雑に扱えば、怒りの感情も呼び覚ます。「琴線」と「逆鱗」は隣接しているのだろう。…などと、彼の心境を想像してみるものの、同局の昼のワイド番組の変遷を思うと、長年にわたる週末ラジオリスナーとして複雑な気持ちになった。
 
そして、過去に国語の教科書に掲載されていた小説をすすめたくなった。
 
それは、作詞家として知られる阿久悠が書き下ろした『ガラスの小びん』である。
 
同作は、1992年~1995年に光村図書の小6国語の教科書で採用されており、彼の年代にドンピシャである。光村図書は、公立小学校の国語におけるシェア率は高いが、彼の母校では採用していなかったかもしれない。

『ガラスの小びん』は、小学生の息子から見た甲子園経験者の父親が、いまだに甲子園を生きていて、甲子園を心のよりどころにしていて、甲子園で自尊心を保ち、甲子園で尊厳を見せびらかす。そんな話だ。
 
光村図書のホームページから、あらすじを抜粋する。

<小学校6年生のときから、「わたし」が体の一部のように持っているガラスの小びん。何も入っていないそれは、かつて「父」のものだった。高校野球の選手として甲子園に出場した「父」は、その小びんに入れた甲子園の土をずっと大切にしていた。「父」にとって、その土は自慢の種であり、何物にも代えがたい誇りだったのだ。
 
「父」に叱られたある日、「わたし」は小びんの中の甲子園の土、父の宝物を捨ててしまう。自分のしたことを詫びる「わたし」に、「父」はこう言った。「おこらない。その代わり、おまえがこれに何かをつめるんだ。お父さんの甲子園の土に代わるものをつめてみせてくれ」。>

光村図書HPより 

「わたし」が甲子園の土を捨ててしまうまで、父親にとって甲子園球場は、サンクチュアリ(聖域)だった。それを具現化した象徴が、父が大事にしていたガラスの小びんに入った「甲子園の土」なのである。
 
阿久悠氏は、屈指の野球愛好家として知られていた。自身のエッセイでは、戦後の荒廃と混乱の中で野球に救われたと語る。映像化された小説『瀬戸内少年野球団』では、戦後の野球少年たちがいきいきと描かれている。高校野球を「民族文化」と言い、ほぼ全試合見ているともつづっている。
 
一方で、光村図書のホームページを参照すると、この作品について作者の阿久悠氏はこんなふうに語っていたという。

<最近何人ものプロ野球選手にインタビューする機会があって、その中には甲子園に出た選手も大勢いた。プロになった彼らの中には、甲子園から持ち帰った土を今も大事にしている選手もいて、それは、どちらかというプロでは大成しなかった選手たちだ。逆に、大成した選手の多くは、「甲子園の土ですか? どこにいったかな」と気にもかけていない様子だった。>

光村図書HPより

過去の思い出はしばしば発酵して、その持ち主を酔わせる。ともに酔うことができる仲間がいると、自分が酔っていることになかなか気づけない。
 
1人1人、大切にしている「小びん」の中身や量は異なるのだろうが、往々にして人は「他人の小びん」の中身にそう興味がない。
 
だから、公の電波で小びんの中身を見せ、小びんを誹謗する人がいると泣いたとて、多くの人にはピンとこない。
 
しかし、本人が陶酔している最中には、見せびらかしている自覚も、陶酔している自覚も持ちにくい。
 
大人になると、その人がどんなスポーツを経験していて、どんな学校の出身で、そこでどんな思い出があるのかは、それほど意味を持たなくなってるのに。
 
『ガラスの小びん』の終盤、父親の宝物を捨てて怒られると思っていた「わたし」は、父親から「お前がこれに何かをつめるんだ」と言われる。
 
ここからは、私の意見だが、小びんの中身は発酵するまえに、新しいものに入れ替えたほうがいい。過去の一時期を心のよりどころにしないほうがいいし、一緒に眺めて味わって陶酔する相手は内輪にしておいたほうがいい。
 
小説『ガラスの小びん』は『光村ライブラリー 15 ガラスの小びん ほか』で読むことができる。


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