「推し」に罵詈雑言を飛ばす人の心理をJリーグの一場面から考えた
サッカーに関しては門外漢だが、家族がJリーグとプレミアリーグを欠かさず見ているので、おのずと関連トピックの情報が耳の中に入ってくる。
スタジアムの生ビール飲みたさに応援についていくこともある。
noteでは「推す人」と「推しの対象」の関係について探求している私にとって、4月15日に『DAZN』で放送された試合後に印象的な場面があったのでここに記しておく。
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鹿島アントラーズの鈴木優磨という選手は、「チーム外」と「チーム内」の評価がパキッと割れているように思う。
「チーム外」「サポーター以外」の人にとっては、リスペクトに欠けた挑発的パフォーマンスが目につく、嫌な場面で点を取る「ヒール」(悪役)。
対して「内輪」では「悪童キャラ」だけど仲間思い、そしてサッカーに本気という評価をされている印象が強い(あくまでも印象)。同じチームに所属していた内田篤人氏が「根は本当にいいヤツ」と言ったことに象徴されている。
繰り返すが、私はサッカーについては詳しくないので、これまで彼に関しては外側に貼られているレッテルだけ見ていた。
だが、4月15日の試合後、彼のレッテルの“中”を少しだけ垣間見た。
30年以上にわたってJ1で常勝軍団”であり続けたチームは今期、かつてない不振にあえぐ。冷たい雨の中で行われたホームゲームで28年ぶりの大量失点で惨敗をした後、一部のサポーターの怒りが収まらない。
感情が極まったサポーターは「推し」のチームの弱体化を糾弾したい、といった様子。自分の言動が選手の心に深く刻む傷を想像する余裕もないほどに。
そこで、鈴木優磨は、飛び交う怒号の矢面に立ち、拡声器で必死で呼びかける。
鈴木:わかる、わかるよ。俺らも100%やってるよ。結果が出てないからわかる。
(どよめきとブーイングがあがる)
鈴木:俺らが100%悪いよ。でも、まだ巻き返せるチャンスは俺らにはあるよ
サポーター:ねーーーよッ!
鈴木:まだある、絶対ある
サポーター:「ねーーーよッ!」「気持ちが入ってねぇーんだよぉ、おめぇーらにはよぉ!」「○○▲▲、※※(声が重なり、聞き取れず)」
鈴木:あるよ!気持ちはあるよ
……(直後、映像がスタジオに切り替わる)
真っ赤な目で心の底から絞り出した言葉と、本気の感情の露出に、無性に心が揺さぶられた。
敗戦続きで歴史あるチームの功績に泥を塗ったようなみじめさだけでもつらいのに、方々から飛んでくる言葉の矢を浴びにいくなんて、誰が喜んでやるだろうか。自分たちも必死にやっていることを訴える様子を見て、私のように感情を揺さぶられた人は少なくないと思う。
ファンと選手の距離感が近いことは地域密着型の日本サッカーの良い面かもしれない。でも、時には心無い言葉が選手の耳と心に直接刺さることもある。
「チームに勝ってほしい。だから、本当のことを言って“やって”いる」「金を出して本気で応援して“あげて”いる」「これまでどれだけ応援にエネルギーを注いだと思ってるんだ」「このチームの活躍でこれまでストレス発散してきたのに」
心無い言葉を発したサポーターは「推し」のチームのためを思って言っている“つもり”なのかもしれない。だが、ゆがんだ利他により、さまざまな不満が「怒り」となってまき散らされる光景は、別のジャンルに「推し」がいる私にとって胸がズキズキする光景だった。
だって、言葉は刃(やいば)であり、人の心身を弱らせることもできるからだ。
所属するチームへの帰属意識が高く、ひどく負けず嫌いだと思われる彼は、今、先の見えないトンネルの中を光を求めて走っているような気持ちかもしれない。
こんなときに、仮に“サポーター”を自称するならできることは何か。
「サポーター(supporter:英語の元の意味は“支える人”“支持する人”)」なら、目を真っ赤にした選手を目の当りにしたとき、罵詈雑言ではなく「一緒に泣こう。どんな状況でも支える」と言ってあげて欲しい。
それは、決して甘やかすことではないのだから。
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