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【エッセイ】マスク越しの世界

ついこの間まで存在していなかった言葉が、今じゃ当たり前のように行き交っている。
遠く離れた国で名前すら知らない人と出会っても、「コロナ」という共通の話題があることをつくづく不思議に思う。

未知の感染症が私たちの生活を侵食し、瞬く間に世界は変わっていった。毎日、嘘か本当かわからない情報があちこちから飛んでくる。私は今、そのどれを信じればいいのかわからないまま、かろうじて歩いている。一歩外へ出ると、無意識のうちに見知らぬ人に対して疑いの目を向けてしまう。自分と価値観が違う人を見ては、心に黒いもやもやを抱えてしまう。どこへ行っても常にアンテナを張って、自分を安全な場所へと導いている。
それはきっと正しいことなのだろう。けれどふとした瞬間に、誰のことも信じることができなくなった自分に嫌気がさしてしまう。

マスクを着けることが日常になって、一年半が経った。最近、ふと気づいたことがある。それは、一昨年の景色は鮮明に覚えているのに、コロナ禍になってからの日々は靄がかかったように思い出せないということ。自粛生活の影響で以前より平坦な日々を送っていることが大きな原因の一つに違いはないけれど、マスクを着けることで嗅覚が以前より遮断されていることも関係しているのではないかと思う。
香りと記憶には密接な関係があることは知っていたけれど、まさかこんなに顕著にあらわれるとは。
これからの日々を忘れる訳にはいけない。辛く悲しいことも多い毎日だけど、私の人生の一部にはかわりないのだから。そして、負の流れはいつだって自分の力で変えなければならない。そう思った私が日々を忘れないために実行したことを2つご紹介する(たいそうなことではない)。

【1】家のベランダで、季節の匂いを思い切り体に取り込むこと。自宅にベランダがなければ、外の景色が見えるマンションの階段の踊り場でも良い。車の助手席に座っているときに少し窓を開けるのでも良いし、夜の散歩中人がいない所でマスクを外しても良い。そこで、自分がいる場所を意識してみる。

私は今、20○○年の○月○日にいる。
綺麗な夕日が見える。
湿っぽい雨の匂いがする。
隣の家から夕飯の匂いが漂ってくる。
うっすらと月が見える。
秋の匂いが混ざった風が吹いている。

すると、毎日同じようで違うことに気づくことができる。ただ、流れる日常の中でほんの少しだけ立ち止まる。そうすると、本来の自分を見つめ直すことができる気がする。

【2】日記をつける。私は飽き性で面倒くさがり屋だから、毎日3行だけ同じノートに記録している。覚えていたい大切なことも、どうでも良いことも、書く内容は自分の自由だ。たまにさぼったって誰も文句は言わないだろう。気が向いたら机に向かって時間をかけて書いてもいいし、歯磨きをする間の数十秒で走り書きしても良い。そのくらいの気楽さで日記をつけることを習慣化すると、自分が送る日々が文字となり重なって行く。ある程度積み上げると、それらはきっとあなたの安心に繋がるだろう。

息苦しい世の中でも、自分の力で気持ちを上向きにする方法はたくさんある。以前のような暮らしが戻ってくることを願いながら、深呼吸をしてここで待っていようと思う。

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