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【短編小説】遠い記憶の中で

私が中学生の頃に書いていた短編小説。
久しぶりに読み返すと拙い文章に恥ずかしい気持ちになりますが、当時感じていた夏の匂いや、自分の葛藤を思い出すことができました。私にとってひとつの大切な作品です^_^

遠い記憶の中で

ふと、遠い昔のことが、急に頭の片隅で蘇ることがある。
人の記憶は儚くて、思い出はそう簡単に取り出せないもの。
だけどなぜか、思い出は時にカケラとなって、目の前にふっと姿を見せることがある。
今いる世界と昔見た景色が重なり合い、全く知らない場所でも懐かしく、愛おしくなることすらあるのだ。
中学三年生だった私に思い出のカケラが降ってきたのは、夏休みに入る前日の、静かな夕方だった。

いつものように、駅のホームで電車を待っていた。
こういう日差しの強い日は、電車が来るまでの短い時間も地獄のように感じられるものだ。
しばらくして、静かなホームに電車の到着を告げるベルが響く。
私は、人混みに紛れて電車の中に流れ込んだ。
汗の染み付いた制服が、電車内のクーラーで冷やされて、急に寒気がしてきた。
私は空いている席には座らずに、外の景色が見える窓側のつり革を握った。
電車の外の世界は、幻想的なオレンジ色に満ちている。
なのに、周りの大人は外の景色を見ようともしないで、大抵の人は寝ていた。
いつか私もああなるのだろうかと、少し不安になった。
光の霧が立ち込める車内は、時が止まったようで、少し不思議だった。
別に家に帰りたくない訳ではないけれど、ずっとこの時が続けばいいのにと思った。
今の生活は、嫌いじゃない。
友達もいるし、家族も好きだ。
でも、こんなに恵まれているのに、何にも出来ない自分が嫌いだった。
あの子は簡単に出来ることは私がどんだけ頑張っても手が届かなくて、後ろにいたはずの他の子にあっという間に抜かれる。
そういう負け続けの毎日が、嫌になったんだ。
そうやって自分をどんどん下に見ながら、不安定な気持ちを落ち着けようとしていた。
そして、今日もいつものようにそう思いながら、一日を過ごすつもりだった。

どれくらい経っただろうか。
カタン、カタン、となる電車の規則正しい音がゆっくり止まり、駅に着いた。
ぼーっとしていた私は、はっとして周囲を見回した。
誰もいない。
怖くなって、冷や汗が出る。
慌てて車内から駅名を見た。
「すみれ街」。
古い駅の看板にはそう書かれていた。
「すみれ…街…?」
声に出して繰り返すと、どこかで聞いたことがあるような響きだった。
よく分からないけれど、軽い気持ちで寄ってみようと思った。
吸い込まれるように外に出て、あたりを見回す。
駅のホームの蒸し暑さの外に、古びた団地と小さな丘が見えた。
なんとなく、行ってみようと思った。
まだ日没までは時間がありそうだし、現実の世界に戻りたくなかったから。
懐かしい匂いのする駅を出て、壊れかけた信号を渡る。
やっぱり外には誰もいなくて、臆病な私は逃げ出しそうにもなったけれど、なぜか、あの丘に行かなきゃならない気がした。
よくよく考えると、行くと決めた私の判断力はかなり立派だったと思う。
丘までは意外とあっという間で、蝉の声も、蒸し暑さも感じないほどだった。
光と影がいくつも重なり合い、街は不思議な色をしていた。
私は丘を登り、ふぅと一息ついた。
団地の中のマンションに、一つ、またひとつと明かりが灯しだした。
そのどれもが私を閉め出し、拒んでいるようで、何だか少し寂しく思った。
あと少ししたら、駅に戻って家に帰るつもりだった。
「ねえ、お姉ちゃん!」
いきなり後ろから話しかけられ、飛び上がって「うわっ!」と叫んだ。
振り返ると、五歳くらいの女の子がにこにこして立っている。
短い髪に、活発そうな笑顔。
小さい子と話すのが得意ではない私は、おどおどしながら、
「ど、どうしたの…?」
と聞いてみた。
女の子は心配そうにこっちを見つめながら、
「だって、寂しそうなんだもん。
一緒に居てあげなきゃって思ったの。」
あまりに図星だったので、私は一瞬戸惑って、
「あ…大丈夫大丈夫!
私、もう帰らなくちゃ…」
と言いバックに手を突っ込んで、凍りついたように手を止めた。
切符の入った財布が無い。
ドジな私が物を無くすことは日常茶飯事なのだが、さすがに財布をなくしたのは初めてだった。
「うそ…⁉︎」
私の心の叫びが声となり、女の子に伝わった。
「切符がないの?」
女の子が心配そうにこちらをのぞき込む。
「そうだけど…」
何でこんな見事に言い当てられるのか、一瞬不思議に思ったが、私は気が気でなかったので適当に答えた。
すると突然、私の目の前に年季の入った切符がひらひらと落ちてきた。
「あっ…!」
「これ、あげる」
私が叫ぶのと同時に、女の子が言った。
切符は、私の手の中で静かに収まっていた。
「え…いいの…?」
ゆっくり尋ねると、女の子はこくんと頷いた。
私は風で芝生に落ちた切符を拾い上げて、太陽に透かしてみた。
“すみれ街→300円”
切符には穴が開いておらず、未使用だった。
だけど、切符は女の子の手の中でずっと握られていたのか温かく、なんとなく大切なもののような気がした。
「これがなきゃ、お姉ちゃん帰れないでしょう?」
断ろうとした私を遮るように、女の子が言った。
私は、静かに頷く。
「でも…」
一人でいる女の子を置いて行くわけにはいかない。
「私はいいよ。
ここに住んでるから」
女の子の笑顔はどこか寂しそうだった。
私は嬉しい反面、これをもらっていいのか不安になった。
「じゃあ…あなたの名前は?」
今度ここに来て借りた切符を渡そうと思い、そう尋ねた。
すると、女の子は少しためらった表情を覗かせた。
さっきまでの賑やかさが嘘のように、急にあたりが静かになってしまう。
聞いてはいけないことを聞いてしまった、と私ははっとした。
「知らない人には名前を教えない」と親に散々言われているのだろう。
自分もそうだった。
もっとも、小さい頃私はかなり活発で、いろんな人に自分の名前を教えてばかりいたが。
「ごめんなさい、教えられないの」
先に口を開いたのは、女の子のほうだった。
とても申し訳なさそうな口調だったので、小さい少女がかわいそうに思えてきた。
「ううん、いいの。ごめんね」
こんなに素直に謝ったのは、自分でも恥ずかしいくらい久しぶりだった。
その言葉を最後に、私も女の子も不思議なほど黙ってしまった。
別に喋りたくないわけではないけれど、喋る気にもなれなかった。
二人を包むのは、どこか寂しげな静けさと真夏の夕日だけだった。
どれくらいの時がたっただろう。
ついに、沈まないよう粘っていた太陽のかけらがふっと消えた。
空が、一気に紫色に染まり出す。
すると女の子は急に飛び上がって、
「早く帰って、おねえちゃん!」
と叫んだ。
私は何事かと思い、女の子の倍以上飛び上がった。
「え…なんで?」
真夏とは思えないくらい心地よい風に吹かれて、ぼーっとしていた私は、寝ぼけながら尋ねた。
「だって…電車が行っちゃう!」
女の子が、駅を指差して叫んだ。
女の子が言うには、今来ている電車が今日で最後なのだそうだ。
そんなことがあるのだろうか、と一瞬疑問に思ったが、乗り遅れては大変だ。
言われるがままに女の子に手を引かれて、駅まで走って行った。
丘を転げ落ちる勢いで下り、信号機や休業中の床屋さんを通り過ぎる。
この景色を目に焼き付ける余裕すらなかった。
あっという間に駅に着いた。
ゆっくり時間をかけて歩んできた道を一瞬で引き返すというのは、なんとなく寂しいものだ。
「じゃあ…ここでさよならだね」
私は息を切らしながら言った。
女の子が、頷く。
改札を通り、もう一度女の子の方を向いた。
「今日はありがとう」
ここに来れば、いつでも女の子に会えると思っていた私は、にこやかに言った。
なのに、女の子はまるでもう二度と会えないかのように、寂しそうだった。
「ばいばい、おねえちゃん」
その声は、今にも泣き出しそうだった。
私は「ばいばい」とだけ言って、たった今着いた電車に乗りこもうとした。
「おねえちゃん!」
突然、静まり返っていた駅のホームに女の子の声が響いた。
ばっと後ろを振り返ると、女の子が改札の外からめいいっぱい体を乗り出して、叫んでいた。
「私、はるひだよ!海野はるひだよ!」
今までこらえていたものが、一気に溢れ出たようだった。
そのとき、私は驚きのあまり声を出すことができなかった。
それは、私の名前だった。
「私のこと、忘れないで!
どんなときも、自分のことを信じて生きて!」
その瞬間、電車の扉が音を立てて閉まった。
「待って!」
思いっきり叫んだ。
だが、カタン、カタンと電車は静かに動き出す。
私は扉に顔を貼り付けるようにして、女の子を探した。
私の視界に写っていたのは、沈んだはずの太陽が顔を出す、夕暮れ時の小さな街だけだった。

目を開けた私の前には、寝ている大人がぽつぽつといた。
はっとした私は、ここがどこらへんかを近くの起きていたおじさんに尋ねた。
「ここは時雨町だよ」
ぶっきらぼうに答えたおじさんに、私はやたらとお礼を言った。
時雨町といえば、私の家の近くだ。
私は一人で焦っていた。
あの女の子は、私だったの?
もしかして、夢を見ていたの?
いろんなことが、頭をよぎった。
しばらく、いろんなことを考えながら電車に揺られていた。
過去の私との出会いは幻か現実か、大人になった今でも分からない。
だけどあの夏の日、過去の私が言った、「自分のことを信じて生きて」、という言葉が妙に心に刺さった。
過去の私に出会えて、ちっぽけな私にこれから歩むべき「未来への道」が、あの時はっきりと見えた気がした。

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