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ポイズンベリー

実父は面白い男だった。しかし面白さにも種類があって身内には居てもらっては困るタイプの面白い男なのだった。崎陽軒のシュウマイ弁当に入っている杏とよく似ている実母となぜ一緒になったのかわからないほどの好男子で作家の町田康と見た目だけで言えば生き写しである。実父はお調子者というか剽軽者で美男子、実母はシウマイ弁当の杏の漬物では当然家庭は崩壊する運命である。実父は違法賭博に手を染めて多額の借金をこしらえてどこかの愛人宅へ飛んだ。私と母は借金取りから逃げるために貧乏長屋から出て安アパートに引っ越した。私が中学生の頃の話である。元々母は父の事を頼りにしていなかったので余計なオモリが一つ減ったと言いのけたのだが、これは私がもう一つのオモリであることを暗示しており多感な少年としてはつらい時期であった。愛人宅に逃げ場のある父とは違って私は杏の漬物からの逃避場所がなかった。高校生になると喧嘩の絶えない実母の元から去る準備を始めた。燕の雛が羽ばたきを練習するように、私も年上の大学生の家に入り浸り彼女の下で腰を振るようになった。こうして私自身も身内に居てもらっては困るタイプの人間だということが判明したが、問題は私が実父のように美男子でもなければ愛嬌も快活さもない、シウマイ弁当の中でも不人気な杏と同じく嫌われ者の夜道を歩く人間であることだった。鬱鬱とし暗黒世界を抱えて目は虚、ブツクサと脳髄の中にいる謎の人物と対話をする私を母は忌み嫌い、早く出て行けとなじった。私は高校を卒業した後でパン屋に就職し半年して小金を貯めてから職を辞し東京地方に住むインターネットで知り合った女の家に転がり込むことになった。これで崎陽軒のシウマイ弁当の杏は晴れて穀潰しの父とその息子から解放されたというわけである。母は学はないが未来の読めるタイプの人間で、介護士の免許も持っていたし、危険物取扱者や貨物牽引やフォークリフトなど免許も持っていたし、母の実家は豪農なので実際のところ私も父も稼ぐ能力でいえば到底母には及ばなかった。母の母親である我が祖母は豪放磊落で歯に絹を着せないタイプの人で、私は祖母にお前の父親とそっくりで見た目だけのしょうもない人間だと看破されてしばしばなじられたものだ(私は自分の見た目に自信がないのでこれはある意味ではエールだった)。仲が良かった祖父が死んだ冬に母の実家へ行ったのだが数年ぶりに会った祖母は既にボケており私の顔を見るなりどちら様ですか?はて?このような好男子はうちの一族にはおりませんが、今日はどういうご要件でいらっしゃったのでしょうか?私は兎にも角にも美男子が大好きなのです!と東北弁で捲し立てたものだ。私は祖母の手を握って、あなたの秘密の恋人でしょうがお忘れですかと笑いながら言った。

父の顔を見ずに二十余年が経った。ある日仕事を終えて家に帰ると一通の手紙がポストに投函されているのを見つけた。送り主は縁もゆかりもない自治体S※※市である。嫌な予感は的中した。S※※市の福祉課によれば、我が父が脳溢血で倒れて以来「曖昧な」状態になり、やむおえず生活保護を受けている、ついては法律上の義務であるので直ちに父君をお引き取りいただきたい、それが難しいのであればいくばくかの金銭を毎月お支払いいただきたい、とざっくり書かれていた。突然のお便りさぞ驚かれたと存じます、という文章で始められた役所からの丁寧な脅迫状は全て素晴らしいものである。未来を読むのに長けた我が母は、役所に対して我が父から暴力行為を受けているのと借金取りに追われている理由から母と私の住所など彼に教えないように手続きをしており、このような督促状を受け取ることは長い間皆無であったがS※※市は新聞報道などでも生活保護に極めてシビアな立場をとる自治体らしく、強硬手段と御涙頂戴の作戦に打って出たようである。私は返信用の手紙をしたため、ポストに投函した。我が父はパラノイアであり嘘つきで半グレ組織の構成員である。私は父から暴力を振るわれ幼少期を過ごし、父の借金癖のおかげで不幸な人生を歩んできた。当然ながらろくな教育を受けておらず、就職をしても給料は雀の涙よりもずっと少ないため生活するのもやっとである。父からは性的な暴力も受けており、彼の顔を見ただけで心的外傷後ストレス障害を起こしかねず、そのようなことになれば私自身が生活保護を申請する立場になることは明白である。私は生活保護を受けるくらいならば自死を選ぶであろう。二度とこのような手紙を送らないでいただきたい。と結んだ。出鱈目もいいところだったが、父と関わりになってもろくなことにならなそうだったので脅迫に対しては脅迫という趣旨で、あることないことを書いた。残念ながら私は不幸だったことは一度もない。父に暴力を振るわれたことは何度かあったが、それ以上に私はやり返していた。ガラスの灰皿を思いっきり父の眉間に叩き込んで血だらけにしたこともあった。父は私にも個人的に借金をしており、私には完全に頭が上がらないため好きなだけテレビのチャンネル権も与えられていたものだ。父はよく言った。おまえはうちに生まれてくるような人間じゃない、突出した才能の持ち主だ、我々夫婦の手には余る。父母は知っていた。いわば私は悪魔の好むという食べられない伝説の果実、ポイズンベリーなのだ。

手紙を投函して数ヶ月後、私は手紙に書かれていた個人情報通りS※※市の父の住所を訪れていた。アパートは瀟洒で小綺麗な如何にも父らしい建物だった。部屋のチャイムを何度か鳴らしてみる。シーンとして何の反応もない。電気メーターは回転している。染之助です、と名乗りながらドアを叩いてみる。鍵が開く。ゆっくりとドアが開く。チェーンはされたままだが、すっかり髪が白くなった父が私を睨んだ。本当に染之助か?私は笑いながら言った。お父さん僕が秘密の愛人に見えますか?父は急いでチェーンを外そうとしたのだが、動揺を隠せず手が震えてうまくとれないようだ。私はチェーンを開けないでいい、泣きながら抱きつく気はないと言った。言った後で封筒をチェーン越しに渡した。元気そうだな。これは金だ。10万円入っている。行政を通さない金だ。自由に使える。好きに使ってくれ。父はヘラヘラ笑いながら、また来いよと言った。また来るよ、とだけ言って回れ右をする。美男子とは程遠くなってはいたが父は相変わらず面白い男だった。彼も私もお涙頂戴の物語は嫌いなのだ。それでいい。憎まれ口を叩けるうちは父は不幸ではない。私は父の過ごすS※※市某駅の近くの洋菓子屋でベリーの沢山乗ったタルトを買って自宅へ戻った。


因みにこれは私の実話ではない。私には元来父はおらず、母は女優の岩下志麻である。岩下志麻が甲子園に宿る神の力で処女懐胎し私を産んだ。私の脳髄には覆面を被った謎の人物がいて、私が窮地に陥る度に現れて的確な助言をくれるのだが、実のところこの人物こそが岩下志麻なのである。私は岩下志麻の息子のため阪神タイガースのファンになり、高速道路の下で他のトラキチに混じって真弓の応援歌を大声でがなっている。お母さん、あなたのおかげで僕は阪神タイガースファンになりました。産んでくれてありがとう。おん?

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