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『推し、燃ゆ』を読んで考えた、北斗さんのこと。

推し、燃ゆを読みました。以下婉曲的なネタバレを含みますが、おおかた拗らせた感想文です。



人を、人ではない、人間からかけ離れた媒体として推すこと。その尊さとむごさは表裏一体で、一方通行の行合だ、と思う。

北斗さんを推しているオタクがこの本に拗らせているところを数度みました。大我さんを推しているオタクが、共感するところもあったけれどぴたりとはまる感覚はなかった、と言っているのも聞きました。

前者はたぶん、媒体に人肌の温度を感じているのだろう、と思う。自分の身体に通う血液を、鼓動のぬくもりを、感じている。私も例に漏れず。
後者はきっと、無機的であったり象徴的な作品を観劇し、現世とは分断された世界線で揺るぎないそれを崇めたり、信じることができているのだと思う。

どちらが良くて正しくて大義か、という話ではない。もちろん推し方は十人十色、この解釈は私だけのもので、誰かに当てはめたり押し付けるつもりもない。それを枕詞として、感じたことを語らせてください。主観的な主語が大きくなってしまうのは、ゆるしてね。



アイドルを、娯楽の対象物として生かすアイドルがいる。
アイドルを、あくまで人として生かすアイドルがいる。
こんな風に単純明快に分類できるものではないけれど、私の推しは後者だと捉えている。


内側にある感情、言葉、思考、その出口が彼の髪の毛の先端からつま先、松村北斗を縁どる身体。
自分のなかにある、彼にとっての、彼だけのアイドル。それを絶えず出力し続け、私たちは彼の身体越しに、言葉越しに、その表情を解釈する。
思考させてくれる人だな、と思うし、解釈を辞めさせてくれない人だな、とも思う。

彼は彼を解釈させる。そういう言葉を、表情を、発する。記す。証のように、刻んでゆく。

だから私たちは、彼の身体のなかに、たったひとつ、ひとりの存在のなかに、“松村北斗”といういち人間としての幻影をみる。
決して実像とはリンクしない、それでも確かに人間めいた、ひととして立っているアイドルの姿をみる。

苦しくて堪らない、その事実を愛おしいと思わせて止まない。


私は彼のことがとても好きだし、彼に対する自分の感情もまるっと愛している。こうして湧き上がる感情が私にとっての彼そのもので、彼は私が抱く感情の根幹にいてくれている、と思う。果てしない同一視とこじつけと飛躍した想像力で、推している。なにも正しいとは思っていない。だけれどだれかに謗られる謂れもない。


そういう私が、確かに『推し、燃ゆ』の中にはいた。自戒だ、と思った。推しはいつか、人間になる。私の知らないところで、私の知らないなにかを愛し、そして知り得ることのない笑い方をして、いつか死ぬ。

その事実を、絶えず受容れてゆける自分でいたいと思う。ある時には干からびるまで泣くのだろうし、これからもずっと、私の身体が許容できる限界値まで感情を揺り動かされるのだろう。時にはその限界を越えて、みえなくなることもあるかもしれない。

だけれど、どんなことがあろうとも絶対に。
届かないことを愛せる自分で、推していたいと思う。

彼は、人間だ。だけれど私がみている彼はアイドルという生きもの、或いは生命とはかけ離れたコンテンツとしてそこに在る。無機質なカタカナの羅列で彩った自分にとっての推しを、これからも激情的に推してゆきたい。


目に見えないものでしか形容できない感情をこうやって言葉にしてつらつら並べて、やっぱり今日も大好きで堪らないなと涙を流す。彼の声を聴く。笑顔をみる。心底幸せだなと思う。


彼へ対して芽生えたこの好きは、どこまでいっても私の宝だ。終わっても終わることのない、確かに遺ってゆく気持ちだ。私は、彼になりたかった。一世一代の恋と憧れは、たとえ冷めたとしても、褪せたとしても、墓場までもっていくに限る。今のところはアチアチで鮮やかなまま抱えてゆく覚悟だし、この気持ちがフラットになる未来も見えていない。愛死天流。ごめんね。


本当にどうしようもなくて救いようもないオタクだけどね、あなたが幸せを望む限り、私はあなたにとっての幸せを願って止みません。


北斗、今日も生きていてくれてありがとう。どこかで、どうか、健やかに。


『推し、燃ゆ』。はまるところもはまらないところも、私にとってはすごく、自戒でした。

“病めるときも健やかなるときも推しを推す”




都合の良い私の解釈
2022/02/16



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