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SixTONES、彼らがアイドルであるということ。


SixTONESは、ジャニーズ事務所所属のれっきとしたアイドルだ。揺るぎない事実、その“意味”の多面性に今日も魅了されている。翻弄、といった方が近いのかもしれない。たのしい。

彼らは今日も、『アイドル』を名乗る。
そしてその活躍の幅は多岐にわたり、楽曲のクオリティは時に『アーティスト』レベルであると評される。
しかし私はアイドル/アーティストという分類に特段優劣をつけるつもりはなく、どちらに対しても『エンターテイナー』という共通認識をもっている。

絶対的な差異がそこにあるのだとしたら、
『アイドル』は存在としての魅力が前提としてあり、人を対象とした愛が先行するのに対し、『アーティスト』は技術的魅力が前提で、それに対する憧れや熱狂が先行するということ、であると自分なりに解釈した。

しかし、SixTONESはどちらであるのだろう?彼らは、自らを『アイドル』として選び取ってゆく。アイドルとして掴んだ道を、切り拓いてゆく。だけれど彼らへ好意を抱く人びとは時に『アーティストレベル』『アイドルだとは思えない』『ジャニーズなんだ、意外』と口を揃えるのだ。その賞賛の中には、時に『アイドル』という存在・文化に対する無自覚な揶揄や蔑みが含まれる。(これについては話が脱線してしまうので今回は割愛しますが、いずれ自分の中にある解釈の解像度を上げてゆきたい事象です。)

その評価が単純な褒め言葉なのか、比較した上での批評であるのかは勿論文脈によるだろう。私が全ての発言を公平に評せるわけでもない。これもあくまで主観だ。しかし、『アーティスト』クオリティであると褒め称えることは、『アーティスト』は『アイドル』よりハイレベルだ!と主張していることにもなり得るし、その逆も然り。私はそこに優劣をつけたくはなかったのだ。

このようにいくら思考を巡らせようと、私にとっては彼らが伝えてくれることが全て。だけれど、彼らが思い描く『アイドル』としてのビジョンと、それを解釈してゆく受け手が抱く『アイドル以上、またはアイドルらしからぬ』イメージには時に絶妙な隔たりや感情の温度差が生じている気がしたため、こうして自分なりに考えてみることにした。

この解釈に丸をつけたいわけではないし、誰かの解釈にバツをつけたいわけでもない。

ただ、それでも彼らは、どこまでいっても『アイドル』なのだ。彼らはきっと、その事実を愛している。

そう在ることを絶えず選択し、自ら掴み続けてきた6人なのだということを、いつだって忘れたくない。


SixTONESの音楽はすごくジャンルレスなのに、どの楽曲を聴いても“SixTONESだなぁ”と思わせるような確固たる軸をもっている。それはメンバー6者6様の声音や音楽に対する姿勢、解釈が交わり重なって成り立っているものなのだろう。
そして、そこには何より、彼らにとっての大義が垣間見れるような気さえしてしまうのだ。

俺たちはアイドルだから。だからこそなんでもできるし、挑戦してゆける。そう、絶えず訴えかけてくれる彼らの中にある揺るぎないもの。


きっと、“『アーティスト』とタイマン張れる『アイドル』”で在ること、それが彼らにとっての大義なのではないだろうか?と、私は勝手に感じている。


あくまで主観でしか見つめることはできないけれど、それでも彼らの誇りやプライドに対してはできるだけ対等にいたい。平衡感覚のない場所で彼らのエンタメを享受・消費しているに過ぎない私は、それでもこの視界から捉え得る彼らのすべてを、純に率直に考えることができているだろうか。

そもそも比較する必要がどこにあるのか、私にはいつだってわからなかったのだ。

アイドルとアーティスト。両者を比較、批評しうる知見を私は持ち合わせていない、という前提で語る言葉にはなってしまうが、アイドルもアーティストも、エンターテイメントに血を注ぎ汗を流し私たちの心を揺さぶってくれることには変わりない。救い、支え、潤してくれる存在。

だから、多面的で在るそのために『アイドル』を選択し続ける彼らの生き様に、私は今日も希望を見出す。アイドルだからこそのアーティストクオリティ、そういうスタンスの中にはアイドルで在ることに対する気高さと誇り、そしてアーティストである人々への確かな敬意が込められているように感じた。彼らが『アイドル』の名刺を掲げる時、それはどれほどの自覚と覚悟を孕んでいるのだろう。計り知れない。

未知数な奥行きと、確かでありながら変幻自在な枠組みの中で、彼らは泳ぎ舞っている。音楽好きの6人、しかも守備範囲や管轄は6人6色。だからこその化学変化がみせてくれる、聴かせてくれる音楽は驚きと感動に満ちている。

SixTONESという概念・文化、そしてそれを掲げ、守り、育ててゆく6人がアイドルそのものなのだとしたら、
SixTONES、そして彼らの周りを築く砦が手塩にかけて生み出す楽曲たちそのものがアーティストなのではないか?と定義付けたくなってしまうほど、色濃く鮮烈。

もしも『SixTONES』『アイドル』『アーティスト』という三単語を使って作文しなければならないのなら、

“6人組アイドルグループSixTONES。彼らが奏でる音色、その個性豊かな楽曲の数々はまるでひとりひとりのアーティストのように自立、共存し、SixTONESという文化を象っている。”

なんて、書きたいな。どの楽曲にも世界や国があって、キャラ立ちが本当に素敵なのだ、SixTONESの楽曲は。

SixTONESという概念・文化が、こうしてジャンルとして確立されてゆくような時の流れを直接体感できる時代に生まれたことを心底幸せに思う。

私は6人の奏でる音色が心の底から大切で、かけがえがなくて堪らない。だからこれからも、彼らが好きだと云うものを、好きだといいたい。


彼らが選んできた、選んでゆくすべてを正解へと近づけてゆく、その一端を、たった1mmでもいいから担いたい。なんどもなんども幾度となく、はなまるを描きたい。(それだけ関与できるのなら、十二分すぎる。だから今日も、好きだ!!!と叫ぶ。再生ボタンを押す。)


SixTONESは、アイドルだ。
最高で最強の、私たちの、希望。


今日も、私の世界を照らしていてくれてありがとう。あなたたちが今日も、やさしい光の中で、穏やかに立っていられますように。


SixTONESが、大好きです。


衷心より愛を込めて。


都合の良い私の解釈
2022/03/10


(ちまちま加筆修正予定)

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