【令和3年改正法】懲戒免職された元教員によるプライバシー侵害等を理由とした発信者情報開示命令の申立て(申立却下)
ポイント
今回は、プロバイダ責任制限法(※令和6年(2024)改正法で情報流通プラットフォーム対処法[略称「情プラ法」]に名称変更)の発信者情報開示命令事件手続(同法8条以下)の事案(東京地決令和5年7月18日(発チ)第287号)をご紹介します。生徒へのわいせつ行為により懲戒免職となった元教員の申立人が、その旨を摘示したYouTube動画について、コンテンツプロバイダ(Google LLC)に対し、名誉権・プライバシー侵害を理由に発信者情報開示命令を求めましたが、東京地裁は、申立人による上記申立を却下しました。
本記事のポイントは、以下の2点となります。
1.事実関係
公務員教員であった申立人は、自宅において、勤務先中学校の生徒に対してわいせつな行為をしたこと(本件事実)により、教育委員会より懲戒免職処分を受けました。その後、申立人が本件事実を行った旨のYouTube動画が投稿されたことに対し、申立人は、YouTube動画の投稿者を特定するための発信者情報の開示命令を求めました。
本件事実に基づく懲戒免職処分については、2つの情報が公表されていました。まず、教育庁(教育委員会事務局)により本件事実に基づき「ある教員」が特定の懲戒処分日において懲戒免職とされた旨(本件服務事故情報)が公表されました。ただし、本件服務事故情報では、被害生徒の特定の防止の観点から、被処分者である申立人の氏名及び申立人が勤務していた学校名については非公表とされていました。
一方、官報の教育職員免許状失効公告欄では、申立人の免許が特定日において児童生徒性暴力等において失効したことが公表されました。官報では、氏名、本籍地、免許状の種類、教科、番号、授与年月日、授与権者、失効年月日と共に、失効の事由が児童生徒性暴力等である旨(教育教員免許法10条1項2号・同法施行規則74条の2第8号イ)が記載されました(本件官報情報)。ただし、具体的な「本件事実」については記載がありませんでした。
このような中で、「申立人が本件事実を行った」旨摘示する動画(本件各動画)が、YouTubeに投稿されました。なお、本件各動画の投稿前の時点で、本件事実と同一内容の記事がインターネット上のブログにも掲載されていました。
そこで、申立人は、YouTubeを提供するコンテンツプロバイダであるGoogle LLCに対し、本件各動画の投稿により自己の権利が侵害されたとして、プロバイダ責任制限法8条、5条1項に基づき、本件発信者情報の開示命令を求めました。
2.新手続:発信者情報開示命令事件の手続(非訟手続)
プロバイダ責任制限法の令和3(2021)年改正により、新たな手続として発信者情報開示命令事件手続が創設されました(法8条以下)。発信者情報開示命令事件手続は、従来の訴訟手続ではなく、柔軟な制度運用が可能となる非訟手続です。一つの裁判手続での迅速な権利救済を目的に創設されました。
非訟事件は、原則、審理非公開であることから、記録も判例データベース等で公開されにくく、今回の事案は、裁判所の判断や当事者の主張・立証活動を伺い知れる貴重な判例です。非訟事件では、当事者は「原告/被告」ではなく「申立人/相手方」である、棄却と却下の違いがなく単に「却下」と言う、決定書には「理由」より簡易な「理由の要旨」が記載される等の差異があります。
法改正の背景や、非訟手続における命令への異議の訴え(訴訟)については、以下の記事もご参照ください。
3.論点と理由の要旨
(1)名誉権侵害について
名誉権侵害の成否について、裁判所は、一般に以下の基準で判断しているとされます。
本判決では、Ⅰ社会的評価の低下はあるが、Ⅱ違法性阻却事由を充足し、「名誉権を侵害することが明らかであるとは言えない」と判断されました。
Ⅰ社会的評価の低下は、申立人が、「生徒を保護すべき立場を蔑ろにして勤務先中学校の生徒に対しわいせつな行為に及んだという本来教壇に立ってはならない人物であるとの印象を与えるもの」であるとして肯定しました。
Ⅱ違法性阻却事由については、①事実の公共性について、本件事実が児童生徒性暴力等(教員による性暴力防止法2条3項)に当たり、法律上も原則として懲戒免職、免許状の再授与のために厳しい基準を設けていることから強い公共の利害に関する事項であること、②これらを摘示する本件各動画の投稿について専ら公益を図る目的に出たものでないことを認めるに足りる証拠はないこと、③事実の真実性については、申立人の自認があり真実に反することをうかがわせる事情もないことから、いずれも認められました。
なお、③事実の真実性については、これを否定した事例として、以下の記事が参考になります。
(2)プライバシーの侵害について
本判決は、プライバシー侵害について、ア 本件事実を公表されない法的利益と、イ 本件事実を公表する理由(意義)を比較衡量し、前者は保護の程度が弱く、本件各動画による侵害の程度も大きいとはいえない一方、本件事実の公共の利害との関わりの程度は極めて大きく、公表の意義も認められるから、後者の公表の理由に優越するものとはいえないと判示しました。
ア 本件事実を公表されない法的利益
まず、本件事実を公表されない法的利益については、(ア)プライバシーの利益の有無及び保護の程度と(イ)プライバシー侵害の程度が検討されました。
(ア)プライバシーの利益の有無及び保護の程度については、以下の旨を述べて、プライバシーとして保護され得るが、保護の程度は弱いと判断しました。
なお、申立人は、被害生徒のプライバシーの利益の侵害という第三者の権利の侵害等も主張していました。しかし、発信者情報開示請求権は、「自己の権利を侵害された」(法5条1項柱書)が要件であるとの理由で、上記第三者の権利の侵害を理由とする主張は認められませんでした。この際、本判決は、行為者であった申立人が、被害生徒のプライバシー情報の保護の必要性という法的利益を援用することは、「およそ正当化し得ない」として、本件のような場合における援用を強く否定しています。
また、(イ)本件事実の公知性の程度ないし本件各動画によるプライバシー侵害の程度が検討されました。本件事実は、本件官報情報と本件服務事故情報から推知可能であったこと、本件各動画投稿時には既に本件事実と同一内容の記事を掲載したブログがインターネット上に存在していたことから、本件各動画により本件事実がさらに拡散したという面があるとしても、本件各動画により初めて本件事実が公知となったとはいえないから、プライバシー侵害の程度が大きいとはいえないとされました。
イ 本件事実を公表する理由(意義)
他方、本件事実の公表理由について、以下の旨を述べて、公表の意義を認めました。
4.さいごに
日本においてプライバシーが議論される契機となったのは、三島由紀夫のモデル小説によるプライバシー侵害が争われた「宴のあと」事件(東京地判昭和39年9月28日昭和36年(ワ)第1882号)です。
しかしながら、プライバシーの権利について、その内容を明確に定義した最高裁判例は未だないこともあり、名誉棄損と異なり、プライバシーについては、権利侵害の成立、違法性阻却事由の判断要件・基準は、明確に定まっているわけではありません。そのため、本判決の事案のように、情報の種類、被侵害者の属性、侵害行為の態様等の諸利益の比較衡量により判断されることも多く、名誉毀損の場合以上に、結論が事案により異なり得ます。
したがって、実際にプライバシーが関係する権利侵害の事象に直面した場合には、一般的には、対応方法も含めて弁護士に専門的・総合的な助言を得るのが望ましいと考えられます。
当事務所のネットワークには、リスク管理のプロフェッショナルが揃っております。リスク管理に関するお悩み事項についても、遠慮なくお問い合わせください。