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あなたの意見に賛成だが全てではない!屈折するSNSの弊害とは?

大きな声が必ずしも正しいわけではない。大きな声とは過激な声ともいいかえることができる。

大きな声の下には、多数の小さな声が存在する。小さな声はマイノリティーだけでは無い。大きな声と同じ意見だが、違う意見にも寛容であるサイレントマジョリティーも含まれている。

冷たい水風呂が正義だという幻想

サウナの水風呂は冷たい方が良いとするサウナーが多い。温度は16度以下でなければ水風呂ではない、シングルと呼ばれる10度以下の水風呂を愛好する人もいる。 ネットや、SNSではこういった冷たすぎる水風呂を称賛する声が圧倒的多数意見のように感じる。

ところが実態は冷たすぎる水風呂が苦手な人も多い。なぜか、彼らの意見はあまり取り沙汰される事は無いのである。

以前勤めていた施設で、 水風呂を冷やす機械が故障してしまった。点検をしてもらったところ、修理をするのは不可能と判断をされた。施設に見合った機械は抱えておらず、受注生産になる。大掛かりな入れ替え工事も必要となり1ヶ月以上の準備期間が必要となった。

施設の水風呂の設定温度は16度、比較的冷たい水風呂を提供していた。1ヶ月以上もぬるい水風呂だと多くのお客様にお叱りを受けるだろうなと思いながらお詫びの貼り紙をして運営を続けた。

予想通り早期修理を望む声が店頭で、あるいはネットに多数寄せられた。一方で、それと同じくらいの数の修理は急がなくても良い、あるいはこのままの状態で営業を続けてくれといった声も寄せられたのに少し驚きを感じた。

冷たい水風呂ばかりを追い求める施設が多く十分に楽しむことができない。そういった声が予想以上に多かったのである。

故障期間中は客数の減少を覚悟していた、しかし結果はその心配は杞憂だった。

ネットの情報を見てわざわざやってくるお客様もおられ、修理をしなければ今後も通ってきたいとまで言い残される方もおられたくらいなのだ。

SNSは社会を屈折して映す道具である

先日、ジャーナリストの佐々木俊尚さんが 「ソーシャルネットプリズム」という本を紹介されていた。 著者は、アメリカのデューク大学のクリスペール教授によるものだ。

SNSは社会を映し出す鏡と例えられることが多いが、実はそうではない。SNSは世界をプリズムのように屈折させて反映させる道具であるといった内容だった。

SNS上の投稿内容は、過激な意見を投稿する人が圧倒的に多い傾向にある。同じ意見の人であっても、穏健的な考えの人の投稿はかき消されてしまう。そして過激な投稿に嫌気がさして、投稿をしなくなる人が多いそうだ。

結果的にどういった意見であれ、その意見を過激に信奉する人ばかりの内容が投稿がされつづけ、エコチェンバーという現象がおこってしまう。

エコーチェンバーとは、同じ意見ばかりを見続けることによって思想がある一定方向に偏り固まってしまうことを指す。

なぜアメリカの分断は進んだのか

一例として挙げられているのが、分断が進む今のアメリカの政治である。民主党と共和党との過激な意見が対立をしている。

1960年代、自分の子供が対立する政党の支持者と婚約をした場合それを不愉快に感じるかという調査をした。結果は5%の人が不愉快に思うとの回答だった。 この数字は、2010年には20%台、2018年には50%台までに増えている。

60年の間になぜこれほど分断がふかまったのだろう。インターネッっとの出現とSNSの普及は大きな要因と考えられる。

さらに、クリスピーいる教師はこんな実験もしてみた。

共和党支持者には民主党支持者が投稿するSNSを、一方で民主党支持者には共和党支持者が発信するSNSを見続けてもらう。

狙いは、エコ チェンバーの解消である。 一般的には、自分と違った意見や話を見聞きすることによって物事を冷静に判断することができるようになり、エコーチェンバーは解消されるとされている。

ところが結果は対立する支持者のSNSを読めば読むほど それぞれの対立は深まる結果になったそうだ。

理由は、SNSに投稿されている内容があまりにもそれぞれの主張を述べる過激な言葉ばかりで対立する政党の人物や、政策を口汚く罵る内容に溢れているからだった。

そこには、お互いの主張を許容し、理解しようとする意見が見当たらない。両党に存在する穏健派の意見はサイレントマジョリティーとなって反映されていないことが原因と考えられる。

S N S がエコチェンバーを深めていく構図がここにある。

大統領も風呂屋の店主も責任重大なのだ

人口3億人のアメリカ人を束ね、世界のリーダーとなるアメリカ大統領も大変だと思う。

一方で、比べて失礼だが 国を運営するのも、お風呂の施設を運営するのも考えてみれば同じ苦労があるのだなぁと感じる。

冷たい水風呂を愛するお客様も大切だし、ぬるめの水風呂を愛するお客様も同じように大切である。彼らが調和を持って来店していただかなければ成り立たない。

ゆえに、ほどほどの冷たさの水風呂でお互いが納得してもらえるような良い施設を運営しなければならない。

公衆浴場は、見知らぬ者同士 裸になって同じ時間を過ごす場所。お互いの意見を尊重し合うことで秩序が保たれる。過激な意見は必要ない、機嫌良く湯船に浸かれば誰もが極楽である。

にんげん裸でみなおなじ。大きな声も、小さな声も同じように尊重したいものですね。


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