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人生の岐路に立つあなたが、「(久遠)クオンチョコレート」から学ぶこと。

コーヒーを淹れて、妻が貰ってきたチョコレートをつまみながら、noteを書いている。

今年の正月の決意に、ライターと名乗ると決意した。しかしながら、従来の仕事の流れで、文章を書くことはあっても、記事を書くことで報酬を貰うような行いは未だできていない。

毎日このようにnoteに記事を書いて、投稿しているぐらいのものである。これではとてもライターとは言えない。

ライターだったら、例えば、いま手にしているこのチョコレートを食べてみたいと思わせ、購入に至るような動機づけるような文章を書かなければならないのだろう。

そういえば、このチョコレート、障がいのある人たちが作ったものだから、大事に食べてね!と妻が言っていたのを思い出した。それにしては、外箱も、内装もしっかりしていて、洒落ている。


QUON CHOCOLATEの取り組み

QUON CHOCOLATEと印刷された、このチョコレートを販売している工房は、調べてみると、全国に40ヶ所以上の拠点を持ち、年商は16億円、上場を狙うほどの勢いで業績を伸ばしている。全国の従業員数は約550人以上も在籍する立派な会社だった。

想像していた、ボランティアセンターのようなものではなく、随分立派な会社のようだ。しかも、全従業員の7割以上が障がいを持つ人を採用しているというから驚きだ。

会社の創業者である、夏目浩次さんは、大学、大学院で土木工学を学び、建築関連のコンサルタんと会社に就職する。公共施設のバリアフリー計画に携わったことで、福祉に関心を持つようになったそうだ。

そんな中、一般企業での就労が困難な障害者は、「就労継続支援B型事務所」と呼ばれる福祉事業所で働く人が多い。こういった福祉事業所は、障がい者が自分のペースで働くことはできるが、法が定めた最低賃金を保証する必要はない。

多くの人に知られてはいないが、こういった福祉事業所で働く人の平均的な月収は、なんと1万5千円しか支払われていない。日給ではない!月収でこの金額とは驚きだ!!

この事実に憤りを感じた夏目氏は、障害がある人であっても健常者と変わらない賃金を支払える自重を行いたいと考え、自らパン屋の経営を行おうと決意をする。

経営の神様に、経営の厳しさを教わる。

夏目氏が、障害者雇用でパン屋を行うことを思いついたのは当時「ヤマト福祉財団」を設立し、障害者の自立と雇用に力を注いでいた小倉昌男氏の活動と、活動の中核として、パン屋の経営を行なっていたことに共感をしたからである。

小倉昌男といば、ヤマト運輸を1兆円企業に育てる礎を築いた経営の神様だ。その山本氏に対して、夏目氏は自分の思いを聞いてほしいと手紙を書き続けた。何度目かの手紙で、面談の約束を取り付けたのだった。

緊張しながら、小倉氏のいる事務所に出かけ、名刺を差し出した。山本氏は夏目氏の名刺に事業名も、肩書きも書かれていないことに気づき、何をしている人なのかを尋ねられたそうだ。

夏目氏はまだ起業前であった、つまり経営者としてはスタートも切っておらず、何者でもない状態だったのだ。

それを察した小倉氏は、夏目氏の名刺を自分の名刺入れにしまうと、“帰りなさい”と一言で面談を打ち切った。夏目氏は小倉氏の名刺すら貰えなかった!

夏目氏はこのことに関して、何が起こったのかわからない。驚きと、悔しさと、苛立ちと羞恥心、いろいろな感情が交差したそうだ。

しかし、これは何も始めていない者に、経営の難しさはわからない。人を雇うことの重みを軽々に考えてはいないか?という小倉氏からの教えであったと回顧している。

そして、経営は難しかった


夏目氏は、27歳で知的障害を持つスタッフ三人を健常者と同じ条件で雇い、パン屋を創業した。

しかし、運営はうまくはいかない。パンは、多くの工程を必要とする。しかも、パンの種類は豊富で、それぞれに工程も違う。障害のある者にとって、この工程を理解するのは難しい。

さらに、パンの製造は失敗が許されない、失敗イコール廃棄となる、そして一般的にパンの単価は安く設定されており、ロスを出すことは命取りであるからである。

こんな状態の中、雇用者には最低賃金を担保するために借金を重ねた。利益を出すには業務の効率化を目指すしかないが、それでは、そのための能力に満たない雇用者を切り捨てなければなない。そういった苦悩を抱えながら、10年以上踏ん張っていたのだった。

パンからチョコレートへ

そんな中、チョコラティエの野口和男氏との運命的出会いが、夏目氏の人生を変える。

野口氏は、原材料の調達、製造加工、商品開発のノウハウを駆使して、有名レストランや名門菓子店向けのチョコレート商品の企画、開発を行なっていた人物である。

彼は、チョコレートの製造は、正い原材料と、正い製造工程を守れば「誰でも」も美味しいチョコレートの製造は可能であるとの持論を持っていた。

その工程は決して複雑ではないし、失敗すれば、溶かして作り直せば良い!おまけに賞味期限も長いし、価格も付加価値をがあれば、高く売れる。

野口氏との出会いを機に、夏目氏はパン屋から、チョコレート工房への運営に舵を切り換え再出発を始めた。

原材料のカカオにこだわり、地元の特産品をアレンジして作りだすチョコレートは、たちまち人気を博すようになったのである。

お店は、地元の障害者の雇用と、地域の特産品を製品化することで全国展開を始め、現在に至っている。もちろん、雇用者には、その人に応じた働きやすい環境と、健常者と同じ賃金を保っている。

久遠チョコレート事業に込められた意味

QUON CHOCOLATE(クオンチョコレート)のショップ名は「久遠チョコレート」である。

「久遠(くおん)」には、環境や経済等に配慮した活動を行うことで、社会全体を長期的に持続させていこうという考え方、サスティナビリティの考えに基づいていると理解できる。

この考えをもとに、作れられたSDG’sの目標には、全ての人に健康と福祉を約束された世界、障害やジェンダー問題での差別を無くそうとする考え方がある。

商品名にも店舗名にも、SDG’sに則した思いがこめめられているのであろう。

久遠チョコレートから学んだこと

QUON CHOCOLATEを片手に、期せずして久遠チョコレートの企業理念を考えてみたが、夏目氏の取り組みは、勉強になったっし、はげましにもなった。

まず、ライターと名乗るもなら、実践すべし!小倉氏から受けた夏目氏の教訓は、そのまま、今の僕に通ずる話だ。

そして、もう一つ、僕がライターを目指すのは、目に障害を持ち、今までの仕事のしかたも、何かを始めるにも、健常者と同じ挙動ができなくなったからだ。

還暦を迎える弱視のオヤジであっても、何かを始め、そして結果を出してゆく。いわば、そのプロセスエコノミーを伝えようとしているからである。

にもかかわらず、ハンデにかまけている自分の姿にも“喝”入れされた気がするのだ。

夏目氏が運営している久遠チョコレートには、障害を乗り越えて、前向きに働く多くの人たちがいるということを物語っている。負けてはいられない!

結局、久遠チョコレートの活動を書くことはできたが、QUON CHOCOLATEのおいしさは伝えられていない記事となった。

しかし、素晴らしい事業を展開している起業であるということは、何とか伝えることができたとすれば、嬉しいことだ。

60代、誰もが人生の岐路に立つ時期である。ここで怯むことなく、前を向いて歩き出す、そういった人たちにとって光明となる記事であれば、タイターとして嬉しい限りである。

お互い、頑張りましょう!


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