もう”やっとけばよかった”思考はやめましょうね!
人生に於いて、挑戦して失敗した後悔よりも、挑戦しなかった後悔の方が大きい!
このような言葉や投稿が、S N Sに氾濫している。
投稿している人は、挑戦せずに後悔している人なのか、それとも、失敗したけど後悔はしていない人なのか?
おそらく、多くの人は程度の差はあれ、その両方の経験を持っているとのだと思う。
この類は「たら、れば」の話をしだすとキリがない。結論は出ている、それが今の自分なのだ。理由は明快で、そう選択したのは自分だからである。
挑戦していれば理想の自分だっただろうか?
小学校4年から剣道の道場に通い始めた。違う学区だけど仲のよかった友人とは同じ中学になるはずだった。
ところが、その友人は某大学の附属中学に進学をした。その大学は関西の有名私立校なのだが、中学に入れば、受験しなくても大学まで行けるという彼の言葉に愕然とした。
そんな方法があるのなら、勉強しておけばよかった・・・
しかし、自慢じゃないが、小学校の成績はオール「十分でない」
「できる」「ふつう」「十分でない」3段階評価の一番下がずらりと並ぶ優等生でこれ以上、下はないといってよかった。
そう思うなら、そこで奮起すればいいものを、なぜかそうしない。中学、高校と多少は成績も上向いたが、小学校のときがんばればよかった、などと思いながら高3を迎えた。
結局その同級生のレベルの大学には進学することはできなかったが、それでもまあ、進学した学校でそれなりにエンジョイはした。
高校時代の友人は、フォークギターをかき鳴らしながら、チャゲ&飛鳥、浜田省吾、佐野元春、を熱唱していた。なんで、そんなに歌がうまいんだ!と驚愕した。
中学時代にロックにハマったが、自ら演奏している奴はいなかった、
そうか、自分で演奏する方法があるのか、やっておけばよかった・・・
ならば、ギターを取れよ!まだ16歳だろ!と思うのだが、今に至るまでコードもわからない。
自慢じゃないが、無類の音痴で、未だにカラオケのマイクを握るのも恐怖である。
大学を出た僕は、創業20年目のファッション業界に就職した。バブル全盛時、破竹の勢いで全国展開をしていた。
カリスマ創業者は、大学時代のワンダーフォーゲル部の仲間や後輩を集め会社を大きくした、役員のおじさん達は元ワンダーフォーゲル部の後輩たちだった。
俺には商才のある先輩がいないだろうか?演劇部にそんな人いなかったかなぁ!なんて思っていた。
自分で商売を立ち上げるなんて発想は1ミリもなく!それはその後の人生の岐路でもやはり変わらなかった。
こんな風に、いつもあの時こうしておけばきっと今頃は・・・なんて空想しながら生きてきた。その傾向は間もなく還暦を迎える今も変わらない。
後悔をしているか、と自問すると、やっとけばよかったのかもしれないとは思うことはある。
でも、その時々で自分なりに決断をしてきたことなのだ。
塾に通うよりも、ギターを手にするよりも、後に勤めた会社で経営を譲渡してもらう道を選ばなかったのも、全部自分で決めたこと。
その方が自分らしいと判断した。いや、そういう選択肢を持っていなかったと言っていい。
つまり、心動かすほど挑戦したいと思っていなかったことだということなんだと思う。
そのくらいの思いなら、やったとしても、それが正しかったとは言いきれない。
やってみなけらば解らないことだが、やらなかったのだから。
間も無く還暦を迎える自分に、残された時間はそれほど多くない。
今から大事なのは、やらなかったことにくよくよするより、やり残したことをやり遂げることの方が大切だと思う。
そのために何かを始める必要があるなら、やり始めよう。遅くはない。
ともかく、過去を悔やんでいる暇はないはずだ。
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