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本当に、その話を墓場に持っていくつもりですが?

長年生きていると、墓場に持っていくと決めた話の一つや二つはあるもんだ。

その内容は極めて個人的なことで、人からしたら何でもない話かもしれない。あるいは、一度世間に知れると天地がひっくり返るような話かもしれない。

蓋をしてしまって、二度と触れることのないよう心の奥にしまい込んだ話を無理にこじ開けろとは言わない。社会的に見ても、自分のためにも、その方が良い場合だってある。

だが、見ぬふりをすることで後悔するようなことなら、生きている間に見つめなおす機会を持つべきかもしれない。

一人で墓場に行く人、集団で墓場に行く人

師走になって、政治家の裏金問題が世間をにぎわせている。

冷静に考えればおかしいが、みんなやっていることだし、「赤信号みんなで渡れば」の意識で本人たちに悪気は全くない。

今回は派閥が悪役なのでそんなことはないと願うが、個人の政治家の問題なら、秘書や経理担当者が生贄となって、墓場に行く、そんな歴史が繰り返されてきた。

30年にも及ぶダイハツの不正検査問題。組織の論理で井の中の掟に麻痺していたとは言えない。隠すという行為は、世間とのズレを認識しているから行われる行為だからだ。

集団で墓場に持ち込まなければならない秘密に異様さと、ためらいを持つものはいたはずだ。だからこそ明るみになったのだろう。

”お父さん、知っていたの?”

墓場に行く前に家族になじられる元従業員もいることだろう。

自分の過去と対時する

自分の過去を振り返ると、誰かの心を傷つけた経験もあるし、やっちゃいけないことをやってしまったことも一つや二つじゃない。

明確に法律を侵すことはないが、世の中のルールには解釈の仕方しだいで黒とも白とも取れることは沢山ある。ビジネスでは、そのグレーな部分が既成化することで標準となることもある。

結果を出すためには、あながち間違っているわけではない、時には既成概念を打ち壊し、世の中の役に立つこともある。

社会人としてのスタートは、全国展開する宝石店に勤めた。

この会社では、従来宝飾品として扱うことのなかったクラスのダイヤモンドを宝飾品として安価な値段で売り出した。

もちろん嘘はついていない、ダイヤモンドは4つの基準で価値が決まるのだが、ちゃんとクラス表示はする。しかし、多くのお客様にとっては、違いは比べなければわからない。

大量のテレビC Mでスーパーモデルが身につけるアクセサリー、流れるB G Mはヒット曲の登竜門で、イメージ戦略によるブランド化というビジネスモデルは当たった。

百貨店で買うものだった宝石を、スーパーで買える時代にしたという貢献度はあっただろう。

でも、正直に言えば、自分の親や友人に胸を張って自店の商品を勧められたかと言えばそうではなかった。内情を知れば、詭弁を使い、商品を売っている後ろめたさのようなものを常に感じていた。

店舗で販売する立場から、店舗を統括する立場になった僕は、売上のために店舗を叱責するのが日常になっていた。この時の自分は人生で最も嫌いな自分だ。時にはこころない言葉を吐き、スタッフを追い込んで実績を上げさせた。中には、不正を働くもの、借金をするものもいた。

思い出したくない、話の一つではある。

ここでの経験の全てが悪いものではない、その後の人生で素直に役立つこと、反面教師として役立つことも多くあった。

その後の人生でも、いろいろありながら、どうしても文章化する気にならないこともある。

人間は誰しも間違えるし、過ちだって冒す。人に言えない辛い経験を持つ人もいるだろう。

単に蓋をするのではなく、それをどう乗り越えたのか、あるいは乗り越えていないのかを見つめ直すことができるのは今しかない。

墓場に持ち込む話に自分なりの決着をつけて生きる、それが60代の使命の一つだろう。


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