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一週遅れの映画評:『糸』禍福は糾える凸凹の平成史。

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『糸』です。

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 平成の30年を生きた男女の人生と、そこにある人々の繋がりを名曲「糸」にインスパイアされて、映像作品を紡ぎ出す……ってまぁ正直つまんなそうじゃん?そもそも私は過ぎ去った話をするのがあまり好きではない、って点も含めて。
 だけどなんか妙に楽しめた。たぶんテンポがやばいくらい早いのよ。30年間を2時間の尺に圧縮してる上に、人生のターニングポイントはしっかり描きたいからそこに時間を使うために、それ以外がポンポン進む。で、そこは自分の持ってる「平成の記憶」でガンガン補完していけるから全然ストレスじゃない。言い方によっては「視聴者に頼ってる」みたいなマイナスポイントになるんだけど……それに関しては後述。
 
 中島みゆきの「糸」が前提にあるから基本的には人と人の繋がり「縦の糸はあなた 横の糸は私」の話なんだけど、たぶん作品として込められた「糸」にはもう一個あって。人生は単線の糸じゃなくて、様々な思惑や悩みや出来事に寄り合わされていて、それって「禍福は糾える縄の如し」と言うように悪いことと良いことが絡み合い織りなす日々であるわけですよ。
 「30年生きてると色んなことがありますわな」、いや「30年生きてると色んなことがあります縄」って感じで。主人公たちが成長して大人になっていくにつれ、その「色んなこと」が社会と密接になっていく。子供時代は周囲の人間関係に終始していたのが、徐々に社会の変化とリンクしていく……リーマンショックとか3.11とか、そういう社会と私がどんどん不可分になる。
 だからラストは平成の終わり/令和の始まりと、主人公たちの着地点が重ねて描かれる。そういう成長することと、どうしようもなく社会に絡め捕られていくことを比較的フラットに、それこそ禍福を均したらプラマイ0になるぐらいの温度に収めているのは良かったんじゃないかな。
 
 加えて、ひとりは世界中をとは言っても北海道から東京、沖縄でシンガポールと住処を転々として、ひとりはずっと北海道にいるのね。その中でシンガポールまで行った方は最終的に北海道に戻ってくる。一方ずっと北海道にいたほうは北の大地でずっとチーズ作りに専念していたのだけど、それがフランスの三ツ星レストランに認められる。実際に世界を渡り歩いた人間が帰ってきて、どこにも行かなかった人間が世界に存在を示す。
 平成ってインターネットが生まれて広まっていった時代だったわけで、そこに生まれた広大な「ウェブ」つまり縦の糸と横の糸の猛烈な拡散は、場所性を(ある程度)失わせていったわけで……平成史を語る上でそれは絶対外せない部分で、それをきちんとお話に絡めて説得力ある提示をしたのは上手いな、と思いました。
 
 そんな感じで平成史を描いた「糸」は平成の終わりにハッピーエンドを迎えるのだけど、まぁ私たちは知っての通りその後にくる令和はかなりめちゃくちゃなことになるわけですよ。だから平成の終わりにあるハッピーエンドを見ながら「でも来年には水害からのコロナが来るんだよな……」って気持ちが残る。それは「時代を追う」っていう作品の性質上避けられないことで、ここでもまた「禍福」という縄が紡がれていくんだな……っていう、現実と接続されてるからこそハッピーエンドにも一抹の苦みが混じって、それが悪くない。私には悪くない後味です。
 
 それで、その後述するっていった話なんだけど……これなぁ、話すべきなのかな。
 
 その「平成という時代」「視聴者の記憶に頼る」「禍福が寄り合わされて形になる」って、まぁーそのぉー完全に2019年の超名作『仮面ライダージオウ Over Quartzer』なわけですよ。
 しかも『糸』の主演が菅田将暉で、それは私にとって『仮面ライダーW』のフィリップなわけだから「仮面ライダー」を思い出さないわけないっていうねw
 だから本作は見ながらずっと「お前たちの平成って醜くないか?」「瞬間瞬間を必死に生きてるんだ!」といったセリフが脳裏をよぎりまくって、そのせいで楽しかったのかもしれない。だから『糸』は平成ライダーを知らない人の『仮面ライダージオウ Over Quartzer』です!……と言いたくはないかな。割と楽しかった、ぐらいだから名作では決してないし。

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 この話をしたツイキャスはこちらの20分ぐらいからです。


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