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一週遅れの映画評:『夜明けのすべて』それは夜が明けてしまうみたいに

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かして配信で喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『夜明けのすべて』です。

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 あのですね、四の五の言わずに観に行って欲しい。いいから行けって! となるくらい良かったんですよ、『夜明けのすべて』は。ただなぁ……これについて話そうとすると、まぁ私自身の過去についてちょっとこう設定の矛盾というかw 色々とね、難しいところがあるんですけど。まぁ「そういうことが喋れるようになった」という点を肯定的に捉えてやっていきたいと思っとります。
 あ、一応付け加えておくと、この作品には恋愛要素ほぼ無いです。ご安心ください。
 
 えっとね。主人公のひとりが20代中盤の女性なんですけど、彼女は結構ハードなPMS(月経前症候群)なのよね。PMSってのは個人差も大きいんだけど大体、生理が始まる1~2週間前ぐらいからフィジカルもメンタルもめちゃくちゃ不調になる症候群で。いや、「そりゃ生理前なんて誰だってイライラするっしょ」みたいなことを言う人もいるし、それもある程度は事実なんだけど……その度合が社会生活を困難にさせるレベルなわけですよ。
 普段なら気にしないようなことに対して、烈火のごとく激怒して暴れまわる。しかもその時は「自分が正しいのだから、この怒りは正当なものだ」と感じているからまったく歯止めが効かない……もっとも怒りを向けてる事態そのものには、共感できなくもないんだけど「にしても、いくらなんでもキレすぎだって」というレベルを簡単に突破してしまう。
 これね、本当にちゃんと伝わる気がしねぇなぁ。機嫌が悪くなって怒りっぽくなってる、なんて表現じゃ到底追いつかないぐらいの不安定さを発揮しだすんですよ。その時期になると。マジでその期間だけ別の人格なんじゃねぇの? ってぐらい(とはいえ「怒りの矛先」が普段と一貫性あるから、同じ人間であることはかろうじてわかるのだけど)。
 
 その……なんで私がPMSの症状について妙に実感があるかって言うとですね、えーと、どう話せばいいんだ? その、私はその昔に結婚しておりましてですね。まぁ「おりまして」ってぐらいだから過去形なんですけど、その配偶者が完全にその傾向を持っていたんですわ。
ていうか今でも普通にLINEとかでやり取りしてるぐらいには、現状だと良好な関係なんですけど、まぁ仕事の話とか聞くとちょくちょくトラブルを発生させては職場を転々としてたりしてるわけで。「相変わらずやってんね」と、今だからこその距離感で見てるわけですけど、まぁ一緒に暮らしてた時期は中々に厳しかったよね。私も相手も、両方とも
 だってさ、生理が終わってから20日ぐらい経つとちょっと暗澹としてくるわけ。うあ~~またこの時期かぁ、しんどい~~って。私だけじゃなくてお互いね、お互いにそう思ってる。思ってるけどどうしようもねぇのよ
いやね「わかってるならケアしてあげればいいじゃない」とか考えるじゃん。違うのよ、そういうのじゃないの。ケアするとか、気を使うとか、それでどうこうなるものじゃあないんですよ。たぶん地震とか台風とかに近い、ほとんど「そういう自然災害」ぐらいの捉え方をするのが一番正しい気がする。地面に対して慰めたり、優しくしたり、丁重に扱っても地震は止まんないでしょ? そういうのなんですよ。「人間」の思惑とか感情とは全然別の「なにか」がその時期を支配している

 この『夜明けのすべて』で、もうひとりの主人公。同じくらいの年代でパニック障害を抱えてる男性が同じ職場にいてですね。彼は主人公がPMSであることを知っているんですよ。それで年末に職場の大掃除をしていて、それを別の同僚の子どもである中学生も手伝っているって場面で、主人公がこう雑巾をしぼっている。その様子を見た彼が何かを察して「すいません、ちょっと」って話かけると、主人公は「なに?」って応えるんですけど。
もうね、この「なに?」を聞いた途端、私は「ひぃ」ってなったんですよ。別に怒ってる口調でも、荒れてる感じでもない。普通に日常会話の「なに?」のテンションなんだけど、でも確実に「なにか」が来てる予兆がある。いやこの演技がめちゃくちゃ正確で、「本人は普通にしてるつもりだし、知らなければ違和感はない。だけど知ってる人間からみると”あ、来てんな”ってわかる」っていう絶妙な「なに?」で。ちょっと私はフラッシュバックしちゃうくらいに。
 それでこのままでは間違いなく中学生が巻き込まれるから、なんとかその場から主人公を移動させて、誰もいないとこまで連れて行き「あの、PMS始まってると思うんで……ここでひとりで怒っていてください」つって、バチキレられるっていうw
 
 でね、そのトラブルがひと段落したところで、主人公に向かって「事情を知ってる同僚として、3回に1回ぐらいはフォローできるかもしれないです」みたいなことを彼は言うわけですよ。この男性もパニック障害の発作を起こしたときに、主人公が紛失していた薬を見つけてくれたことで恩義を感じていて。年も近いし、抱えてるものは違えど社会生活を送る上での困難さっていう共通点があることでお互いに友人になっていく。
 それで、その職場っていうのが恐らく「何らかの事情がある人」で構成されてるところっぽくて、たぶん就労継続支援A型事業所とかを一部イメージしてると思うんだけど。主人公たち以外についてはあまり多くは語られていないのね。
だけどそこが良くて。最初は男性主人公も「PMSなんてパニック障害と比べたら全然マシ」みたいなことを言ったりして(これは意図して露悪的な態度をとってることは間違いないんだけど)たのが、そうやって事情をちゃんと知っていくなかで「まぁお互いつれぇわな」って理解していく。
他の同僚も、恐らく何か問題を抱えていて、それぞれにそれぞれの辛さがあることが、明示されないけど何となく伝わってくる

 私はときどき「つらさ比べに意味は無い」って言ってるんだけど、人は結局「自分のつらさ」しかわからない。他人のつらさを想像したり推し量ったりはできても、それは決して完全な理解にはならないじゃない? だから最終的には「自分のつらさ」しか知ることはできないし、そういった意味で誰かと誰かを比べて「こっちのほうがつらい」って言うことはできないと思ってるんですよ。
この作品には、その「誰もがつらさを感じている」ことを描いて、それは種類が違うだけでどっちがどうってのは無いことをきちんと伝えようとしている姿勢があって、素晴らしかった。

 最後、この職場が移動式のプラネタリウムをやるって企画を立てて、そのナレーションを主人公が担うことになる。プラネタリウムって星の話だから、当然「夜」に起きることじゃない。
 その中で「絶対に夜明けはくる」みたいなことを言いながら、同時に「でも夜じゃないと、こうやって遥か遠い場所に他の星があるなんてわからなかった」って告げる。これはまぁ、病気だったり障害だったりの「つらさ」に対してのメタファーとして語られてるわけですよね。「明けない夜はない」も「夜だから気づけることがある」も
 ただこれって凡庸と言えば凡庸な話じゃない? 本当に良いのはそのあとで「でも別に朝が来てほしくなくても、夜になってほしくなくても、地球が自転している以上はこっちに関係なく朝が来たり夜になったりする」って言い放つんですよ。
 
 さっき私は配偶者だった人の状態を「そういう自然災害」って言ったけど、それは病気も障害も全部そうで。何が悪いとか、どれのせいとかじゃねぇよと。地球が自転する限り朝が来て夜になるみたいに、どうしようもなんないことだし、それはもう「そういう現象がある」とするしかない
 これはそうやって冷たく突き放してるわけじゃあなくて、「どうしようもないんだから、それを前提にどうにかやっていくしかねぇもんな」っていう前向きな諦観なんですよね。それは夜が明けてしまうみたいに
 
 こっちの心情を乗っけたりとか、そこに何か意味を持たせたりとか、そういうこととは関係ない。ただただ現象として起こることだけが『夜明けのすべて』だと。私たちはそうやって現象に、夜明けに、夕暮れに、そこにあるものに対してやっていくしかない。
 そうやって全部のつらさを認めてくれる、素晴らしい作品だったと思います。

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 次回は『ボーはおそれている』評を予定しております。

 この話をした配信はこちらの13分ぐらいからです。


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